空蝉

 

by 彩門 八重 様

 
 
「………………俺って悪い子だよね」
俺がぽつりと呟いた言葉に、否定すればいいのか肯定するべきなのかわからないのか、三蔵はだた黙って受け止めていた。
俺の吐息を、唇を、指を。
「三蔵、俺のこと好き?」
言いながら、触れるか触れないかぐらいの距離で三蔵の身体に指を這わせた。もどかしい触り方だ。もっと、と思わず言いたくなるような。焦らしているともとれるような。
返事がなかったのが気に食わなかったのか、それとも無意識でやってるのか。
俺だってどっちかなんかわからない。
三蔵はまたどう言えばいいのかわからない顔をして、溜め息だけで応えた。

悪い子でも構わないよ。
三蔵を独占できるなんて思わない。
ただ、今、この瞬間、こうしてこの人の身体に触れることができる。

そのためなら、もうなんだっていいんだ。




三蔵が好きだと気づいたのは一年前だった。
傍にいたいって子供の頃から思ってたけど、それが恋愛感情なんだって気づくまでは結構長い時間がかかった。でも、気づいてからが地獄だった。
それまでは傍にいるだけでよかったのにさ。
欲しくて、欲しくて気が狂いそうだったよ。
でも、絶対に欲しがったりしなかった。
好きな素振りだって見せなかった。普段通りに接する為に俺なりにものすごく気を使ったと思う。
それでも八戒や悟浄にはすぐに気づかれたんだけど。
ある日無理している俺を見かねて、八戒たちが部屋に訪ねてきてこう言った。
「上手くいくように協力しましょうか?」
けど、俺は首を横に振ったんだ。
「いいよ。俺がこんな感情を持っていることを知ったら、三蔵はきっと困るから。だから内緒にしてて。傍にいれるだけでいいんだ。それ以上は望まない」
おそらくからかい半分で一緒についてきた悟浄は、俺の真剣さに驚いてか、頭をぽんっと叩いて「頑張れよ」とだけ言ったから、ちょっと俺は泣きそうになった。
頼んでないけどさりげなく二人は協力してくれてたんだと思う。
三蔵は俺の感情には全然気づいてなかった。
自分の望んだことだったけど、一緒にいればいるほど辛かったし、何気なく触れるだけでもどうしようもなく心が揺れた。
煙草を咥える唇、何気なく襟元を正すときに見える鎖骨、銃を磨く時に見せる長い睫毛、夏の日差しを受けて結われた髪、汗ばんだうなじ、そういう何気ないものの全てがどうしようもなく艶かしくて無防備で。
このひとが、欲しい。
そんなことを考えながら何度も眠れない夜を過ごした。
ようやく眠っても夢に出てくるのは三蔵で。夢の中の三蔵は死にそうに綺麗で、俺は触れてしまう。でも、夢の中の三蔵は顔が見えないんだ。触れているのに、いつもなら考えられないほど近い距離にいるのに。
そして、起きて現実の三蔵に会う。
朝食の席で、静かに食事を採る姿はいつも背筋がまっすぐに伸びていて、凛としていて。
そしたら俺はもう罪悪感で死にそうになる。
頭がおかしくなる前にどうにかしないと、このままじゃいけない。
そう思いながらもどうしていいかもわからなくて、そんな感情を押し殺していたある夏の日のことだった。

その日は長い野宿生活の後でようやく宿にありつけたから全員ものすごく機嫌がよかったんだ。
その宿には、縁側があって夜になると山からの風が吹いてきて、とても気持ちよかった。
何せずっと炎天下の中を妖怪を蹴散らして走ってきたんだ。
こんな風情のある静かな場所でゆっくりできるなんてこと滅多にないからさ。そりゃあもう悟浄なんかはさっそくビールやら冷酒やらわんさか買ってきて縁側でこの上なく幸せな顔で煙草を吹かしていた。八戒も調理場を借り切って酒の肴を作って、まぁ宴会モードってやつだったんだ。
三蔵は普段は飲んでも滅多に酔わないけど、この日は緊張の糸が少し緩んだのだと思う。
縁側で月を眺めながら静かに飲んでいたけれど、気がついたら眠ってしまっていた。悟浄も完全に酔っ払って八戒に部屋に運ばれて、俺は縁側で横たわる三蔵と二人で取り残された。俺も結構酔っていたけれど、月明かりを受けて眠る三蔵の少しはだけた浴衣の胸元を見た瞬間、酔いが冷めた。
触れたい。
少しだけなら許されるかと思った。
抱き起こした三蔵の身体はアルコールのせいで予想外に熱かった。
うっすらと開かれた唇は、その中まで触れてみたい衝動をかき立てて。
駄目だと思ったんだけど、もう止まらなかった。
口付けた瞬間も三蔵は酒が入ってるからか全然抵抗しなくて、舌を入れても嫌がらなかった。
お互いの酒の匂いが混じって、冷めたはずの酔いが再びまわってきたように感じた。
「…………ん……………」
長い長い口づけの後、三蔵はそれでもまだ事態を理解していないみたいで、俺がゆっくりとだるそうな身体を楽にしてあげるために抱き寄せてもたれかけさせても大人しくしていた。その姿はいつもの隙の無い振る舞いとは全然違って、ものすごく無防備で、俺は急に罪悪感に襲われた。
三蔵はどんなに酔っていても疲れていても、他人の前では決してこんなに無防備にならない。
いつの間にかうたた寝したりするのは、ずっと昔からいる俺の前だけだ。
それだけ俺を信用しているってことだ。
嬉しいはずなのに、俺はどうしようもなくせつなくなった。
ここで、もしこのまま。この人を抱いてしまったら、きっとめちゃぐちゃ三蔵を傷つけてしまうだろう。
でも、これ以上、自分の感情を隠し通すなんてもう無理だ。
「………………三蔵、起きて」
軽く揺さぶっても三蔵は目を覚まさなかった。相当疲れているんだろう。溜め息をついて抱き上げると、やばいぐらいに軽くてぎょっとした。
廊下をゆっくりと歩いて、部屋に向かいながらも、俺のこころはぐらぐら揺れていた。
この人を自分のものにしてしまいたい。でも、同時に絶対に傷つけたくない。
部屋にたどり着いて三蔵を横たえると、俺はすぐに縁側に出た。
今夜、あんな無防備な三蔵と同じ部屋で眠って自分を止められる自信なんかなかった。
蜩の声に混じって、三蔵の静かな寝息が聞こえる。柔らかい風が酔った肌に心地よくて、そのまま縁側で眠ってしまおうかと縁側に横たわった。冷たい床が頬に気持ちよくて、ずっとしばらく月を眺めていたら本当に眠ってしまいそうだった。そんな矢先だった。
「…………風邪ひくぞ」
いつの間に起きたんだろうか。深い闇よりも深く響く声に俺が驚いて振り向くと、月光を受けた三蔵が立っていた。
「大丈夫だよ、俺馬鹿だもん」
俺の言葉を無視して三蔵は言った。
「体調崩されたりしたら適わない。部屋に戻って寝ろ」
「………………大丈夫だよ、ここで寝る」
そう言ってごろりと横になって三蔵から顔を背けた俺に三蔵はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「……俺がいるからか?」
その言葉に俺は度肝を抜かれたけど、怖くて振り向く勇気なんかなかった。肯定する勇気もなかった。だから黙っていた。
「お前、俺が気づいてないとでも思ってるのか?」
三蔵の声音からは表情はわからなかった。三蔵はそれだけ言うと踵を返して部屋に戻っていった。
気づいてないとでも思っているのか、だって?
どういう意味だ。じゃあ、三蔵は――――――――――――
俺は飛び起きて部屋に入った。ちょうど眠ろうとしていた三蔵は俺の剣幕にも驚きもせず、ちらりと一瞥して、俺の背を向けて横たわった。
「三蔵!」
「………………うるせぇ。夜中だ」
「好きだよ」
「………………知ってる」
「三蔵が欲しいんだ」
「………………それも知ってる」
「三蔵、こっち向いてよ、ちゃんと顔見たい」
「なんだ、言いたいことはもう言ったんじゃねぇのか」
三蔵は言われた通り、起き上がって俺をまっすぐに見据えた。
憎らしいぐらいに毅然としているところがこの人らしくて、俺はもう自分を止められなかった。手を伸ばして折れるぐらいに三蔵を抱きしめる。ずっとずっとこうしたかった、と呟いてそのまま押し倒した。
「………悟空」
低い声で三蔵は身じろぎもせずに言った。咎めているのか、そうじゃないのかもわからない。
「………………少しだけ。触れるだけだから」
その俺の声は泣きそうになっていたからか、三蔵はしばらく黙って俺を見つめていたがやがて溜め息をついて、顔をそらした。

良いとも駄目だ、とも言わないまま。
許しももらえないまま、俺は三蔵に触れはじめた。

どうして三蔵が俺を受け入れてくれたのかはわからない。
そんなこと聞けなかった。触れられている間、三蔵はずっと無言だった。
時々あがる息。押し殺す声。決して合わせようとしない瞳。
追い詰めれば追い詰めるほど、三蔵は壮絶に綺麗だった。帯を引き抜いて、浴衣の袷を左右に開いて指を滑らせると全身がびくりと震えた。
怖がっている、と気づいてはいたけれど、止められなかった。
出来る限り優しくしたい。傷つけたくない。
でも、腕にひっかかっているだけの浴衣が身体にまとわりついて、それがどうしようもなく艶かしくて俺を煽って、結果的には激しく三蔵を求めてしまった。
押し殺されていた感情が一気に爆発してしまったせいで、加減なんかできなかった。次第に耐え切れなくなって三蔵の喉から声が上がった。
「…………悟空………もう、よせ…………!」
少しだけ、と言いながらも止めようとしない俺の手を三蔵はつかんだ。
けれど、俺は。
その三蔵の手首を放させて、逆の両手首をつかんで、顔の両側に押さえつけた。
初めて三蔵が目を合わせてくれた。
けれど、そこに浮かんでいたのは、今までの毅然とした表情ではなくて戸惑いとも驚愕ともつかない感情だったから、俺はなんだか見ていられなくて口づけた。
口付けると、今度は本格的に心が痛んだ。
三蔵の心もきっと痛んでいる。
ここまでして手に入れても、それは本当に身体だけだ。
心の伴わないセックスなんか悲しいだけだ。
それなのに。
どうして止められない。
唇を離して、しばらく三蔵を見つめた。三蔵も俺を見つめていた。




「………………俺って悪い子だよね」
俺がぽつりと呟いた言葉に、否定すればいいのか肯定するべきなのかわからないのか、三蔵はだた黙って受け止めていた。
俺の吐息を、唇を、指を。
「三蔵、俺のこと好き?」
言いながら、触れるか触れないかぐらいの距離で三蔵の身体に指を這わせた。もどかしい触り方だ。もっと、と思わず言いたくなるような。焦らしているともとれるような。
返事がなかったのが気に食わなかったのか、それとも無意識でやってるのか。
俺だってどっちかなんかわからない。
三蔵はまたどう言えばいいのかわからない顔をして、溜め息だけで応えた。

悪い子でも構わないよ。
三蔵を独占できるなんて思わない。
ただ、今、この瞬間、こうしてこの人の身体に触れることができる。


そのためなら、もうなんだっていいんだ。