夢槍乱舞 ―― Go to the light
人は、時として考える。
何故なのか?
どうしてなのか?
答えの見えない道を模索し、それは必ずしも改めて考えたり特別な事ではない。日常の中にいた所で、そう言う事はよくあるのだ。
特に、こんな日はそう思う。
「悟空って面白いよね、いろんな人がいるけど……悟空みたいなお客さんは初めてよ。
悟空くらい若いってのもそうだけど、きっと正確の問題なんだろうなって思うわ」
それは、旅に出てからどれだけの時が経ってからだろう?
「そうかなあ? そんなに俺くらいの奴っていないもの?
芳蘭の周りにはいっぱいいるじゃないか?」
「いないわよ、悟空みたいな子はね。少なくとも、みーんなすれちゃって……普段はにこにこ笑ってるけど、心の底じゃ何考えてるかなんて全然分からないわ。
あと……最近めっきり物騒になっちゃって、都まで行く人って言うのも傭兵さんとかが多くなっちゃったのよね」
宿の娘である芳蘭は、悟空と同じくらいではあるものの。生まれながらにして人の多い所で育ったせいなのか、悟空より世の中と言うものや世渡りと言ったものを多少なりとも知っているようだ。
その中でもある種は貪欲に、そして内心のそれをどう表現したらいいのかよく判らないが理想とか希望とか言ったものを持っているのかも知れない。
「でも、噂の三蔵法師様があんなカッコイイ人だなんて思ってなかったなあ。
他の人達もカッコイイし……あんな素敵な人達と一緒に旅だなんて、悟空がうらやましいな。きっと楽しいんだろうな」
「ああ……まあ、そうかも……?」
芳蘭が三蔵や八戒、悟浄と一緒というよりは旅そのものに憧れを抱いているようなのだが。同じくらい同行者達の顔にどきどきしているのだろうが……それはきっと、本人にはわかっていないのだろう。
旅をするきっかけとか、どうして旅をしているのかとか、そう言ったものに興味がないわけではないのだろうが。芳蘭としては見目のよい顔を見られただけで十分「大事件」なのだろう。それでも、悟空とは話しやすいし悟空自身も芳蘭の知ってる男達と違ってスレた所がないおかげで心が癒されていると言う部分もあるのかも知れない。
人が人と、相手を選べずに関わって生きていくと言うのは。
年齢や性別を除いても、なかなかに苦しい事ではあるのだから。
そう言う事も全部含めて、悟空は顔はともかく中身については一癖も二癖も同行者達にある事は。芳蘭のうっとりとした表情に免じて言うのを止めた。
「お父さんとお母さんが、サービスで洗濯するから持ってらっしゃいって言ってたよ」
仕事を抜け出してーーー何しろ、悟空は三蔵の従者だと言う認識があったので芳蘭の両親も強くいえなかったのだろう。悟空とおやつを食べていたのだが、ここで三蔵一行にサービスするのも悪くないと両親は思ったようだ。
そうすれば、実際はどうあれ。彼らが去った後に芳蘭の両親が三蔵たちの事をどう言っても何とでもなる。
「じゃ、洗濯物があるかどうか聞いてくるよ」
「あたしも行く。悟空一人で運びきれるか判らないし」
普通に考えるなら、旅をしてる最中にそんな大荷物を持って移動などあるわけないのだが。万が一と言う事もあるし……どちらかといえば、こちらの方が大きいのだろうが。噂の美形を見たいと言うのもあったのだろう。
「洗濯物、ですか?
ちょうど良かった、今から集めに行こうと思ったんですよ。
でも……サービスだなんて良かったんですか? 芳蘭さん」
「ええ、もちろんです。
アノ三蔵法師様達のお役に立てるなら、少しくらいサービスしなきゃ罰があたるって父が。お疲れなら、後でお酒も届けますって」
人の良さそうな笑みを浮かべ、にこやかに会話をする八戒と芳蘭を見て。なぜかなんとなく背筋が寒くなる様な気がする悟空だったが……どうやら、その原因まではよく判らなかったようである。
「それはそれは……お酒に関しては、夜になってからお願いしますね。
僕の洗濯物はこれだけなんで、よろしくお願いします。
まだ、他の人たちからは集めてないんですよ。悟空はもう渡したんですか?」
「ううん、まだ。
なあ、八戒。ジープも洗濯してもらうか?」
どういうはからいからなのか、今夜の宿は一人用の部屋を四つ手に入れる事が出来た。
その中で、白竜のジープは飼い主である八戒と同じ部屋なのが普通だ。幾ら名前の通りにジープに変わることが出来るとは言っても、やはり白竜の姿が本来の姿らしく。度々白竜の姿に戻っている事がある。
「悟空……そう言う冗談って、あんまり本人の前じゃ言わないほうがいいんじゃないかなって思うんですけど」
苦笑しながらも、喧嘩などがあっても決して八戒は止め様とはしない。
悟空がベッドの上で丸くなるジープを覗き込んでも、悟空が悟浄とじゃれてるのも、三蔵が怒ってハリセンで叩きのめす時もとめない。
命を取るまではないとわかっているからなのか、それとも関わりたくないのか……それとも、優しいのかは判らない。聞いたこともない。
「ところで、悟浄は?」
予想通りと言うか何と言うか、悟空は眠ってるジープの顔をのぞいただけで手を出す事はないらしい。
「一応、さっきまではここにいたんですけど……自分の部屋にいなかったら、今夜は帰らないかも知れないですね。いたら、洗濯物はちゃんと出すように言って下さいね。悟空。
本当に、悟浄はいつになってもごみ捨ての日と洗濯ものを溜め込む癖は変わらないんですから……もっとマメになってくれると、僕も楽なんですけど」
ため息をつきながら言葉をつむぎながらも、本気で言ってるわけではないのだろう。その顔は笑ったままだし、その目も笑ったままだ。
「悟浄ー、いるかー?」
ノックもせずにあける扉。
鼻につく煙に、少し漂う酒気。
「ノックくらいしろよな、このサル……」
どうやら、すでに少し出来上がってるようである。
「何やってるわけ?
洗濯物ある? 芳蘭がサービスで洗濯してくれるって」
悟浄は、ベッドの上で行儀悪く横になりながらタバコを吸っていたらしく。よく見ると、ぱりっとした清潔なシーツにタバコの灰の汚れが見えるのだが……芳蘭は見なかった事にした。
これでも、芳蘭やその家族にとっては仕事である。
「見てわかんねーか、サル」
「わかんねーから言ってるんだよ、このカッパ!」
悟浄の挑発に簡単に乗る悟空を見て、芳蘭は内心では苦笑していた。
何があったのかはともかく……こんな簡単に悟浄の言葉に乗ってしまう悟空はかわいらしく見えるし。それに、もしかしたら判りきっているパターン化された行動なのかも知れない。
「洗濯物ね、いいのかい? 芳蘭ちゃん。
もしかして、誰かに何か言われたかい?」
「悟浄さんって、優しいんですね」
「そうかい?」
起き上がった悟浄は上半身が裸だったし、Gパンだけで素足だったが……なんとなく今さっき傷ついたばかりだと言う顔をしてる様な気がした。
「ええ。でも、その優しさってちょっと残酷かな?」
ぴしりと、悟浄が一瞬固まったような気がした。
もしかしたら、その「何か」につながっているのかも知れない。
「うわ、なんだよこれー。
血だらけの泥だらけ……おまけに酒くせー」
「ところで、今夜どうだい?」
「やだな、悟浄さんったら……お世辞ならもっと喜ぶ事いってくださいよ」
今度の芳蘭は、内心だけに留めずにっこりと笑った。
更に悟浄が固まった事に悟空は気がつかず、悟空が戻ってきたのを良い事に芳蘭は悟浄の部屋を早々に退散することにした。
「そうだ、悟浄。なんでそんなボロボロになってるんだ?」
「……大人にはいろいろあるんだよ。
ったく、俺がこんな目にあった理由の半分はお前のせいなんだぞ。サル!」
「サルサル言うな、このカッパ!
大体、俺がいったい何をしたって言うんだよ!」
もっともである。
悟空は、食事を終えてからずっと宿の裏で芳蘭と旅の話やこの町の話に花を咲かせていたのだ。なので、悟浄が悟空を探していた事や八戒がたずねられなかったので悟浄に悟空の居場所を教えなかった事を知らない。
「つまりだなあ、お前が一緒にいたら……」
「僕にも、是非その話を聞かせてもらいたいですね」
更に、悟浄が固まった。
ぎぎぎぎぎ……と油の切れたブレーキみたいな音を首の間接から聞こえてきた気がした。が、もし本当にそんな音がしているのならば生命体とは言い切れないかも知れない。
「あ、八戒」
「はは、は……八戒、その……あの、な?」
「とても詳しく聞かせてほしいんですけどねえ? 悟浄?
悟空、ここはもういいですよ。芳蘭さんもご苦労様です」
「ええと……八戒?」
顔は笑っていると言うのに、有無を言わせずに悟浄の部屋を追い出されて。
悟空も芳蘭も、廊下でぼんやりと立たされ坊主よろしくと言う状態になったのだが……。
「行きましょ、悟空」
不思議そうな顔をしながら、芳蘭の後をついて歩く悟空にはまだ。
現実に帰るのは女性の方が早い。
そんな言葉を、きっとまだ知らないのだろう。
「勝手にしろ」
めがねをかけて新聞を見てる、金髪の最高僧は一言そう言った。
はっきり言って、身もふたもない。
「勝手にしろって……どれ持ってったらいいわけ?」
僧としての正式な服とか、袈裟でもどれならいいのかとか、脱ぎ散らかしたりしな
いーーーこれは寺でみっちり経験したからなのだろうが、そう言う点から見ればプライベートな時間で三蔵がすることはあまりない様に思える。
実際、三蔵が趣味にいそしむ姿など見たことがない……もしかしたら、じゃれあってる悟浄と悟空をしばき倒すことが趣味になるのかも知れないが。
「見りゃあ判るだろ」
悟浄と違い、ベッドの上や寝転がってタバコを吸ってるわけではない。
テーブルで新聞を読みながら、酒を飲む……しかも、350mlのビールだ。発泡酒ですらないあたりにこだわりが見える様な気がするのだが、そのあたりについては「そう言うものなのだろう」くらいしか芳蘭には思えなかった。
大体、お寺やお坊さんの規則など。関係のない一般庶民が知るわけはない。
「あんまりそう言うと……全部持ってくけど?」
「死にたいか、サル?」
「だってよお……」
意地が悪いのか興味がないのか、三蔵はこっちを見ようともしない。
「三蔵様、よろしければ私が悟空のお手伝いをしますが?」
「……誰だ?」
少し目を細めたのは、恐らく芳蘭が扉の外にいたからだ。
両親から、偉いお坊さんなのだから部屋に入るのは失礼だとでも言われたのだろう。
すっかり萎縮しながら、ちゃっかり三蔵の顔をちらちらとのぞいている……実は、その視線が三蔵をいらだたせるかも知れないなどと言う事はまったく念頭にないようだ。
「この宿の娘、芳蘭と申します。三蔵様」
「芳蘭がサービスで洗濯してくれるんだってさ、もう八戒と悟浄のは集めたんだ。俺のはさっき八戒が持ってったから一緒にあるし」
「よろしいでしょうか、三蔵様?」
「……判った」
内心の読めない顔をして、三蔵が不承不承と言った緩慢な動きをした。
とは言っても、これは宿に入る前からこうだったし。きっと、宿から出ても変わる事がないのだろうと芳蘭は思ったので、特に気にしなかった。
それに、宿屋をしていれば必然的にこういう言葉が脳裏に叩き込まれる。
世の中にはいろいろな人がいて、その中には見た目では判断できない人がいるものなのだ。
あとは……くらいの高い人が常識に照らし合わせられる人かと言えば、そう言うわけではない。この宿の中にある、そしてこの町にある常識のすべてが世界のすべてではないし、また逆もしかりと言う事なのだろう。
「じゃあ、これだけお預かりしますね。三蔵法師様」
特に三蔵からの返事はなかったが、ちらりと視線は帰ってきた。
いったい、あの服がこれからどんな運命をたどるのだろうかと……まともに考えるのはちょっと悩むところだ。
「じゃあ、またね。悟空」
「ああ。またな、芳蘭」
芳蘭が服を持ってそのまま行ったのは、単純な話。
これから芳蘭かその家族が三蔵一行の服を洗濯するからと言うだけの話であり。他に何か含むところがあると言うわけではないのだが……別に、だからと言って悟空が三蔵の部屋に居残る理由にはならない。
「あのさ、三蔵」
「何だ?」
「今夜、ここで寝ちゃ駄目か?」
じろりと、三蔵の目が悟空を見た。
少し居心地が悪そうな感じで、悟空が三蔵を見た。
「何を考えてる?」
更に三蔵が見つめたが、悟空は相変わらず居心地が悪そうな感じだ。
出来るなら、本当は言いたくなかったのかも知れない。
「別に……ただ、なんとなく。
邪魔とかしないから、隅っこでいいからさ」
こう言う悟空と言うのは、実は珍しいわけではない。
何度も、これまでも寺にいた時にはあった。決して歓迎されない存在だとわかっていても、それでも何とかやってこられた理由の一つとしては、こうして夜眠る時や昼間でも三蔵の存在が大きかった事は言うまでもない。
三蔵の返事は……?
「じゃあ、気をつけてくださいと両親が。
あいにくと、忙しい時間なのでお見送りできませんけど」
すまなそうな顔をする芳蘭を見れば、どうやら本当にすまなそうに思ってるようだ。それでも、宿屋の一番忙しい時間帯に旅立つのだから、こればかりはどうにもならない。
「どうもありがとうございました、芳蘭さん」
いつもと変わらず、それでも少しすっきりした感じの顔の八戒に。いつもの顔の三蔵。
「じゃあ、今度はデートに乗ってくれな。芳蘭ちゃん」
「あはははは……私、まだ恋人さんに殺されたくないです」
妙に疲れた顔をした悟浄に、昨夜いったい何があったのか……とりあえず、芳蘭は知らない。
「じゃあ、またな。芳蘭」
「悟空も元気で、帰りにも寄ってってね。
それまでに、あたし。もっともっと色々がんばるから」
がっしりと握手をした二人は、少し寂しそうに手を離した。
「ああ。だから、芳蘭もがんばれ!」
だけど、笑顔だった。
芳蘭が見た悟空も、悟空が見た芳蘭も。
最後には、二人ともお互いが笑顔だった。
「悟空は、ずいぶんと芳蘭さんと仲良くなったんですね?」
宿から出て少ししてから、八戒がたずねた。
「ああ……芳蘭、将来やりたいことがあるんだってさ。
何がやりたいのかは聞かなかったけど、宿を継がないといけないからあきらめなくちゃいけないかなって。
俺は、難しい事はわからないけど……本当にやりたいことがあるなら、もうちょっとがんばってみたら? って言ってみたんだ」
「それでですか、芳蘭さん。きっとうれしかったんでしょうね、悟空にそう言って貰えて。
そう言うわけですから悟浄、あんまりその事で悟空をからかっちゃ駄目ですよ?」
「……へーへー」
本当のことなど、誰も知らない。
何が真実なのかとか、そう言う事は考えない。
なぜなら、そこには事実があるのだから。
無数の事実を前に、人は真実が何かと模索などはせず。ただ、生きてきた時間の中で真実を選び取るだけ。
いつか、この時間を思い出す事があったとしたら。
きっとその時になってから、考え出す事になるのだから。
事実はどこにでもあり、真実は。
真実は、そこにある。