薔薇の木に薔薇の花咲く

 

by 眠林

 
 
アルが腹に猫を抱えたまま何処かへ行ってしまった。もう丸1日帰ってこない。
エドは銀の懐中時計をじゃらじゃらと弄りながら、今朝から数十回目の溜め息をついた。
捨ててこいなんて言わない方が良かったのだろうか。でも、国家資格を持つとは言え流浪の身に等しい自分たちが、ペットなど飼える筈がない。あの、優しいけれど冷静で現実的な弟がそれを判らない筈はないのに。“捨てろ”ではなくてもっと別の言葉や対処の仕方があっただろうか。あーもーー。
彼は、一度ベッドにごろりと寝転がり、そして勢いを付けて一気に飛び起きた。そして、心なしか肩を落として、トレードマークの赤いコートに手を通した。
ドアに鍵をかけようとして、思いとどまる。どうせ貴重品は全て携帯しているのだ。
結局その日、彼は施錠をせずに外出して行った。

軍の情報では、賢者の石に匹敵する研究をしている錬金術師がいる、と。
市井の噂では、魔女が居る森がある、と。
そんな話を伝って、たどり着いたのがこの町だった。調査を一人でやらなくてはならないのは億劫だったが、そんなことは言っていられない。エドは町の市場で聞き込みを始め、手がかりを辿って、最後に町外れの森に到達した。

町の人々の話も多種多様で、怪しいものばかりだった。
「あの魔女は何年も年をとらない。若い女の姿のままだ」
「家の周囲の森は、異常に木の育つのが早い。魔法をかけているのだ」
「森から出入りした様子はないのに、家にひと月も人の気配が無くなる時がある。そしていつの間にか戻っている。空を飛んでいるに違いない」等々。
森の縁に立ち、梢を見上げて、エドはまた嘆息した。そして、生い茂る藪をかき分けて細い道を辿っていくと、程なく、小さな館が見えてきた。館と言っても、居住スペースは一般の家屋と大差なく、家を大きく見せているのは、ガラスで出来た巨大な温室のような棟だ。中を見ると、実験室のようにガラス器具が整然と並んでいたが、それ以上の植物の鉢が、彼を圧倒させた。
とりあえず、家の外周をぐるっと周り、それでも危険を感じなかったので、エドは恐る恐るドアのノッカーに手を触れた。

「こっ、こんにちは~~」

意味もなく緊張して扉を叩いたが、待たずして中から妙齢の女性が顔を出した。

「あら、どうなさったの?」
「えええええっと、あの。俺、エドワード=エルリックって言います。えっと賢者の石のことで……!!」

エドは慌てて自分の名と来訪の意図を同時に曝け出した。
彼女は、花のようにふわりと笑い、そして、言った。

「お客様なんて珍しいわ。お入りなさいな」



中は更に、普通の市民の家と大差なかった。小さな居間に質素なテーブルと椅子が数脚。窓際には、美しく花房を付けた鉢植えが幾つも並んでいる。
家主は彼に椅子を勧め、ハーブの香る茶を淹れてくれた。
「魔女」などと言われるようには少しも見えない。とても楚々として優しげで、エドは更にどぎまぎした。

「丁度良かったわ。ローズマリーの新しいのを精製したばかりだったから」

てきぱきと茶を淹れながら、彼女はまた快活に笑った。そして2人分の茶器をしつらえると、エドに向かい合って座り、彼の目を見てゆっくりと話した。

「あなたは、錬金術師?」
「はい」
「国家錬金術師の資格もお持ちなのね」
「なんでそう思った?」
「その銀時計。私もそれくらいは知っているわ」

エドは小さく舌打ちした。女性を侮る訳ではないが、油断がならない。

「…………1年前に。弟も錬金術師だけど、あいつは資格は持ってない」
「そう」

彼女は目を伏せて、自分のカップを、ひとくち啜った。その口の端から笑みが消えた。

「何か錬成して見せてくれる?。ここで。簡単なもので良いわ」
「んじゃ、聞くけど。何が見てみたい?」
「そうね。あなたの一番得意なものが見たいわ」

エドは黙って頷き、ソーサーのティースプーンを持ち、そして両の手をぱんっと合わせた。光が収まるとそこには銀細工の人形が1つ納まっている。彼女はほんの少し悲しげに微笑んで、呟いた。

「ありがとう。なら、私も見せて差し上げなくちゃ不公平よね」

彼女は傍らの鉢の葉を千切り、祈るように静かに手を合わせた。そして、掌をゆっくり開く。エドの目の前で、その手の間に、見る見るうちに溢れるほどの花びらが出現した。

「え、えっと……」

驚愕する彼に、『魔女』はまた微笑んだ。

「あなたと同じ。私も錬成陣を書かない、錬金術師なの」



◆ ------ ◆



冷めてしまった茶を淹れなおして、彼女はまた聞いた。

「それで、あなたが創り出したい物は、なぁに?」

子供に玩具を選ばせるような、さり気無い口ぶりに、返って彼は動揺する。

「俺は……、俺と弟の体をもとに戻したいんだ」
「あなたと弟さん……。人の体ね?」
「あぁ」
「あそこで失ったのね」
「…………」
「では、あなた方は何故、あそこに行ったの?」
「それは…………」

口ごもるエドを、彼女は静かに見つめ続けた。

「俺は……母さんを……」
「優しいのね」
「……優しい?」

思わず聞き返す。彼女の微笑みが、どこか無機的に見えた。

「言葉が不適切だったかしら。『情が深い』と言うべきかもしれない。とても、生物的に正しい動機だと思うわ」

エドは、目の前の女性を見つめた。
何だか、花のように奇麗で、植物のように体温を感じられなかった。

「錬金術の基本は等価交換。これはご存知よね」
「勿論」
「なら、生命の基本は円運動。これは?」
「俺の師匠(せんせい)が、言ってた」

彼女はゆっくりと頷いた。

「あなたは、イズミの弟子だったのね」
「先生を知っているの?」
「勿論よ。彼女は私の後輩だもの」
「ええぇぇぇぇぇっっ??」

目の前の女性は、とても、師より年上には見えない。
椅子から転げ落ちて「あ、あの、先生にはどうか内密にっっ……!」と慌てふためくエドが椅子に座りなおすのを待って、彼女は言った。

「イズミも情の深い女性だったからね、風の噂には聞いているわ。可愛そうに」
「でも、あんたも、そうだったんじゃないのか?。あそこに行った事があるなら……」
「違うわ。私はね、世界の真実を知りたかったの。本当に、それだけだったのよ」

そこまで言うと、彼女は窓際に溢れる植物を指した。

「知ってる?。この世界の中で唯一、エネルギーを『生産』できる生命が植物なの」

鉢植えの花の香りが部屋を満たし、更に外は鬱蒼とした木々の茂る森。訳もなく、圧迫感を感じる。

「等価交換とは一線を画すわ。そもそも生命活動はエネルギーを消費するのだから、世界中の命が生きるほど物質は消費され続けて、そのままだと無くなってしまう。それを補っているのが光合成。植物特有の活動なの」

彼女は静かに立ち上がった。「いらっしゃい。面白いものを見せてあげる」と言って、次の間のドアを開ける。そこは、外から見えたガラス張りの実験室だった。

「植物に含まれる、葉緑体。その中では、光を触媒にして酸素や養分が作られる。自身の成育だけでなく、他の生物にも消費されて足りるほどの」

陽光が燦々と降り注ぐ部屋は、緑で埋め尽くされている。
空気には土と木の香りが満ち、水槽の中では、真珠のような泡が、絶えず立ち上っている。

「そのエネルギー変換の形も、円。植物だけが持つ、永久機関なの」

傍らのデスクには、大きな顕微鏡があった。そして、分厚いノートにびっしりと書き込まれたスケッチとデータの数値、錬成式。

「凄ぇ……」

驚嘆すると同時に、エドは疑問を感じた。
これだけの技術と理論。国家資格を取ろうと思えば、いつでも取れる。発表するだけで、巨万の富を得ることも出来る。なのに……。

「それだけじゃないわ。植物は、『命』も再生産できるのよ」
「えっ?」

彼女はエドに、小さなシャーレを見せた。中には、薄緑の丸い塊が数個、培地に包まれている。

「これは?」
「カルス、と言うのよ。植物から採って培養したただの細胞の塊。でも、ここから既に『個体』が始まっている……」

シャーレの中身を大きなガラス瓶に移しながら、彼女は呟いた。

「後ろを御覧なさい。その苗は、たった1つの細胞から複製したの。遺伝情報もそっくりそのまま保存されているわ」

エドが振り返ると、白い蘭の鉢の隣に、密閉したガラスのドームに覆われた、青い芽があった。

「そこまで誘導できれば、あとは光を与えるだけで、同じ花を咲かせることが出来るのよ。水は循環するだけ。外からは何も加えていない」

ドームのガラスの内側には、水滴がびっしりと付いていた。
中を覗き込むと、光が水とガラスに屈折して、キラキラと虹を作る。
頭を振って、混乱した思考を整理し、彼は、両の足を踏ん張って、向き直った。

「なぁ。俺からも、1つ聞いていい?」
「なあに?」
「この理論や技術と引き換えに、あんたは、何を『持って行かれた』んだ?」
「そうね。これは確証はないのだけれど……」

自分も、師も、口の端に乗せるにも痛みを伴う話題なのに。
それを語る彼女は、事も無げに微笑んだ。

「男性は『外側』を、女性は『内側』を持っていかれることが多いようね」
「じゃあ、あんたも師匠(せんせい)と同じに……」
「正確には違うわ。私は、もっともっと、内のものを」

『魔女』は笑った。冷たく、美しく、透明に。

「私が失ったものはね、心と、時間よ」



◆ ------ ◆



それから3日目に、アルは戻ってきた。
猫は、市場で出会った親切な人が引き取ってくれたという。
錬金術師の正体も、その研究内容も調査が済んでしまったので、これ以上ここに滞在する理由は無くなってしまった。それでも軍の関係各所への挨拶や報告等、なんやかやと理由を付けて滞在を引き伸ばす兄を、アルは不思議に思ったようだった。

一週間ほど経って、ついに町を去る日。エドは、また、あの森の中の館を訪ねた。
ドアを叩いたが、今日は返答は無く、扉が内から開くことは無かった。
そのままでは去り難く、彼は、悪いと思いつつも、精密な彫刻の入った鍵穴を調べ、それを分解して開錠した。
中は整頓され、人の気配が無かった。
ひと月も人がいなくなる、との噂を思い出す。長く外出しているのかと思ったが、その時、彼はテーブルの上の書置きに気付いた。
手に取ってみると、表には、『エドワード・エルリック殿』と書いてある。
彼は注意深く封を切り、手紙を開いた。

『エドへ。
私は実験に入ってしまうと、何週間も外界からの知覚を遮断した状態になってしまいます。なので、もし、またあなたが訪ねてきたときの為に、これを書いておきます。
直接お話できなくて御免なさい。
まず、あなたが探しているものについて。申し訳ないけれど、やはり私は情報を持っていません。自分で欲しても居ません。私は既に、あの時失ったものを取り戻そうとは思っていないのです。
私はあそこで、人と交わるための感情を失い、年をとらぬ身体になりました。つまり、私は既に、個体としての人間、生き物ですらないのです。
生物として一番濃い、肉親の情によって禁を犯し、また同じ感情からそれを取り戻そうとしているあなたには考えられないことかと思います。が、私はそれを失ったことを後悔はしていないのです。むしろ、私が真実を欲した故に、それを認知するための時間と条件を与えられる恩恵に与ったように思っています。それもまた、私の欠落部分の為なのかもしれませんが。
こんな私が、力の限り生きようとしているあなたの来訪を受け、言葉を交わせるとは何と言う僥倖でしょう。全は一、逆も然りと言うならば、私の在り方もあなたの在り方も同じものです。もし、全てを作り賜うた神が存在するなら、その御技の計算された美しさ、無駄の無さに、いつもながら感動します。不思議ですね。人を恋うる事も、愛することも出来なくなっている私なのに。』

そこまで読むと、エドは顔を上げ、あの温室に続くドアをそっと押し開いた。
部屋の真ん中に、大きな肘掛け椅子が置かれ、彼女は、そこに居た。
椅子に深く沈み、眠るように目を閉じている。あのシャーレの中身を入れていた大きなガラス瓶を、幼子を抱くように膝の上で抱え込んでいる。
壜を挟んだ両手の間は、淡く光っている。彼女は何かを錬成しているのだ。長い長い時間をかけて。

『一個の生きる人間として、そして同時に錬金術師として探求を続けようとするあなたに、また幸運にも会い見えたなら、私は聞いてみたいと思っています。』

エドは、そっと彼女の肌に触れてみた。
思ったとおり、それは、植物の表皮のように、滑らかで冷たかった。

『等価交換における「物質」の定義とはどこまで成立し得るのでしょうか?。
人体錬成の禁忌に触れる「個」の定義とはどこまでを指すのでしょうか?。』

彼女が抱えている壜の中には、白い根がびっしり詰まっていた。その上には数年を経たような、しっかりとした株が乗り、そこから若々しい新梢(シュート)が伸びている。薔薇の苗だ。
先端には、既に花弁を満たした蕾が、今にもこぼれそうに綻びかけている。

その僅かに見える花びらは、海よりも、空よりも、深く鮮やかな青い色をしていた。


エドは手紙をポケットに丁寧にしまうと、温室のドアを注意深く閉めた。
何だか、音を立ててはいけないような気がした。
表に出ると、先ほど分解してしまった鍵を元通りにしようと、両手を合わせる。





美しい蔦の模様の入っていた鍵穴は、しかし、二度と元通りに創り直すことはできなかった。