DARKNESS

 

by 眠林

 
 
「?」
 闇の中。
 ――そう。俺は、闇の中にいた。
 …何故?
 思い出そうとしても、思い出せない。
 それでも構わずに、俺は歩き出そうと一歩踏み出した…
 ごり、ばきん。
 固いものが砕けた音。その音に視線を落として。
 息を、飲んだ。
 骨。「人間」の頭蓋骨。
 声が出ない。いや、出せない。
 そこで俺は、やっと辺りの状況を把握する事が出来た。
 広がるのは、そこいらに散らばった骨たち。
 その一つ一つが、「道」を形成していた。おぞましい、道を。
 その骨の道の先に、誰かがいる。
『…』
 人間?魔族?
「…!」
 俺は、目を見開いた。
 何故なら…。


「っ!」
 俺の意識は、そこで大きく変化した。
 目の前には…天井…?
 そう。天井が見える。
 横に視線を流してみる。見えるのは、小さな椅子とサイドテーブル。
 反対側に視界を移してみる。見えるのは、軽く閉じられた白いカーテン。
 そこで、やっと結論が出た。
「…夢か」
 ぽつり、小さく呟いた。
 身体を起こす。寝汗でもかいたか、服と髪が肌に張り付いて気持ち悪い。
「おやま。お目覚めですか?」
 どこからか、声がした。
 けれど、この声は知っている。
「ゼロス、か?」
「はい」
 目の前に、人間が姿を現わした。
 けれど、『人間』ではない。同じような『姿』はしているが。
 彼は『魔族』だ。
 底の知れない笑みを湛えたまま、ゼロスは俺の前に立っている。
「…どうりで夢見が悪いはずだ」
「そんな、ぶっきらぼうに言わなくてもいいじゃないですか」
 俺の呟いた言葉に、肩をすくめて返してくる。
 ―――はて、そんな感じに言っただろうか?
 まあ、いい。
「ひどくうなされていましたね」
「?」
「アストラルサイドからでも、良く見えましたよ」
「―――そうか」
 何の事はない。寝ている間の俺を覗き見していた、ということだろう。
「趣味が悪いぜ、ゼロス」
「魔族ですから」
 言った言葉に、笑みを浮かべて言葉を返す。
「――それに、あなたの過去は意外ですよね」
 脈絡のない言葉。
 しかし俺は、それに鋭く反応する。
「夢の中身も、見えたようだな」
「ええ」
 頷くゼロス。
「あの頃のガウリイさん…。今とは比べ物にならないですね」
 俺は苦笑する。
 確かにそうだ。
 昔の俺は、何事にも関心を持たなかった。
 助けを乞われれば、応じた。
 それは、断る理由がなかったからだ。
 女の誘いだってそうだ。誘われれば、それに応じる。
 そして。
「ゼロス」
「はい?」
 俺はゼロスをまっすぐ見据え、聞いた。
「―――あいつに、言うか?」
「どうでしょう」
 首を小さくかしげ、とぼけた答えを返してきた。
 こういう反応をするというのは、薄々感づいてはいたが。
「ガウリイさんは、どうですか?」
 不意に、問い返してきた。
「ん?」
「彼女に、この事を言っても宜しいですか」
「それを、認めろと?」
「でしょうね」
 ゼロスは、もう一度肩をすくめた。
 あいつには、知って欲しくはない。
 昔の俺を。
「何か、変なもんだな」
「何か…ですか」
 俺の言葉を、ゼロスが反芻する。
「俺の過去を知ったのは、あんただけだろ。他の人間に、いつかは知られるだろうと思ったからな」
 そう。俺の過去を知る人物は、少ない。
 強いて言えば、サイラーグで会ったシルフィールくらい。
 でも彼女も、『本当』の俺を知らない筈なのだ。
 彼女と会う前に、自分を『飾る』事を覚えたから。
「ガウリイさんは、言うのですか?」
 ゼロスが、また問い掛けてきた。
『誰に、何を』が抜けてはいたが、感覚的に判った。
「言う気はないな」
 短く答える。
 あいつは知らないほうがいいだろう。
 過去の俺を。今とは全く違う『俺』を。
「――それは何故ですか?」
 別の問いを重ねてくる。
 俺は不敵な笑みを浮かべ、口を開いた。
「あいつは、常に前を向いてるだろう」
 そう。あいつは、いつもそうだ。
 どんなに辛い状況でも、決して諦めない。
 そんな人間のそばにいれば、俺も多少は変われるだろう。
 思って、俺は『保護者』をやっているから。
 もっとも今は、『保護者』の役だけでは物足りなくたってきたけれど。
「なるほど、良く判りました」
 唇に、屈託のない笑み。
「では、僕はこれで失礼します」
 言って、ゼロスはひょいと一礼した。
「―――で、ゼロス」
「はい?」
「これは、言うなよ」
「了解しました」
 俺の忠告に一言返して、ゼロスは姿を消した。
 まるで、何事もなかったかのように。
 一つ息をついた俺は、床に入り。
 目を閉じた。


 闇の中。
 そう、さっきと同じ。
『何故ダ?』
 誰かが、問い掛けた。
 そこで俺は、夢の続きなのだと悟った。
 何故なら、目の前に立っているのは。
『何故、そんな目をしている?』
 俺は、そいつに問い返した。
『何モイラナイカラ。オ前ハ何故、ソンナ目ヲシテイル?』
 短く答え、さらに問いを重ねてきた。
 そいつは、『過去の俺』だった。
 何も映らない瞳。その色には、どこか寒々しいものが宿る。
『俺は…』
 言いかけて、一つの映像が浮かび上がった。
 栗色の髪とマントをなびかせ、不敵に笑う少女。
 その瞳は燃えるような紅さを保ち、意志の強さを秘めた輝きを乗せている。
『俺には、護りたいものがある』
 俺は答えた。
『俺ハ、護リタイモノヲ失ッタ。オ前ハ、失ワナイ自信ガアルカ?』
『過去の俺』が、寂しげな輝きを瞳に宿らせた。
 そこで、気づいた。
 俺は昔、大切なものを目の前で失った。
 だから。
『失いはしない。俺が俺でいる限り、ずっと護りつづけてやるさ』
 それは誓い。
 すべての罪を、償うための。
『―――ソウカ』
 ふと、柔らかな笑みを浮かべる。
 その姿が、いつのまにか薄らいできていた。
『俺ノヨウニハ、二度トナルナヨ』
『―――判ってるさ』
 忠告を、短く答えて返す。
『過去の俺』が、消えた。
 瞬間、道を形成していた骨も消え去った。
『過去の俺』が立っていたはずの所には。
 小さな、『光』があった。


 ―――…夢、か。
 ぼんやりと、思ってみる。
 カーテンの向こうの外が明るい。朝になっている。
「今までの罪を償うために、俺は…」
 残りのひとり言は、心の中で呟いた。
 ―――あいつを護るために存在してゆこう。
 気配がした。
 俺にとって、いちばんなじみの深い気配。
「ほら!さっさと…あれ?」
 ドアを開けると共に、元気な声が飛び込んできた。
 けれどその声は、途中で不思議そうなトーンに変わる。
「―――ガウリイ、もう起きてたの?」
 その声に、俺は穏やかに微笑んで答えた。
「よう、おはよう。―――リナ」
 彼女がいる限り。
 彼女を護る、『俺』がいる限り。
 きっと、夢は見ないだろう。
 哀しい、『闇の夢』を。