彼女はひとりでおどる

 

by wwr

 
 
「ひ…っく」
植え込みの中からしゃくりあげる声がする。
「ごめんなさ…い……ごめ…なさ…」
「姫様ぁ」
「アメリア様ぁ、どちらですかぁ」
自分を探す女官たちの声に、泣き声の主は小さな体をいっそう小さくして、茂みのなかにもぐりこんだ。
夏の夕ぐれどき。
王族の避暑のために造られた白い離宮。今夜はその完成を祝うパーティーが開かれていた。
魔法でともされた色とりどりの明かりが、できたばかりの白い建物を照らしだす。
かろやかな音楽が流れ、招かれた人々は華やかなドレスをまとい、あちこちで楽しそうな笑い声を響かせる。
だけど明かりも音楽もとどかない庭園の片隅で、小さな王女は一人で泣いていた。
「え…っく…ごめん…なさ…」
―ミアンおばさん…カトル…―
見つからないように声をころして、でもあとからあとから涙があふれて。
がさり。
突然彼女を覆い隠していた枝がゆれ、人影があらわれた。
「なんだ、猫でも鳴いているのかと思ったら」
「!」
びくりとしてアメリアがあとずさろうとすると、人影はするっと茂みのなかに入り込み、アメリアの横に腰をおろした。
「なにを泣いてるんだ?こんなところで」
―わたしを探しに来た人じゃない、よね―
いそいで涙をふいて、おそるおそる顔をあげてみれば、それはアメリアよりやや年上の少年だった。
少しくせのある茶色の髪。緑がかった青い瞳が、少しきついまなざしでアメリアを見おろす。
「母親にでも叱られたのか?」
なんとなく意地悪そうな口調でたずねられて、アメリアはぶんぶんと首をふった。
「…かあさん…いないもの」
少年はしまった、というような表情をした。
「あ~、じゃあ、どうしてこんなところで泣いてるんだ」
話しはじめれば思い出して、また涙がこみあげてくる。
「うえ…ぇっく。お、おばさんが…みんなが…」
「?」
「わたし…の…せいで…ぇっく」
「??」


途切れ途切れの言葉と泣き声をおぎないつつ、翻訳すればこういう事情になる。
この新しい離宮が立てられた土地は、以前からアメリアが家族と避暑に来ていた場所だった。むろんお忍びで。
庶民とのつきあいをあまり好まない従兄弟や、いっぷう変わった趣味を持っている姉とは違い、アメリアは毎年近くの村の子どもたちと外を駆けまわって遊んでいたのだった。
騎士ごっこ。怪盗ごっこ。
一日中男の子たちと泥だらけになって遊ぶアメリアを、だれもセイルーンの王女だとは思わなかった。ただ街から来ている、少しいい家の元気なお嬢さんだと思っていた。
「こらっ!そんな高い木に登ったらあぶないだろーがっ!アメリアちゃんっ!」
「ほらアメリアちゃん、これ持っといで。うちで焼いたお菓子だよ」
「アメリアーっ、早く来いよ。子猫みせてやるからさ」
気のいい村人は、素直で元気なアメリアを、村の子どもたちと同じように可愛がっていた。
そんな人達と過ごす夏の日々が、アメリアは大好きだった。
去年の夏の終わり、明日にはセイルーン・シティに戻る日の夜。この土地一帯を任されている領主が挨拶に来たのだった。
領主はうやうやしく挨拶をしたあと、アメリアに尋ねた。
「アメリア様は、この土地がお気に入りのご様子ですな」
「うんっ、大好き」
アメリアはこっくりとうなづいた。
この場所が、ここに住む人達が、本当に大好きだったから。
「左様でございますか」
にんまりとした領主の笑顔の意味は、アメリアにはまだ分からなかった。
そしてまた夏が来て、わくわくと訪れたアメリアがみた物は、村があったはずの場所に建つ、白い華麗な建物だった。
「え?」
いつもお菓子をくれたおばさんの家、子猫のいた男の子の家。そんなものはあとかたもない。
アメリアがみんなと競争してのぼった村外れの大きな木は、抜かれて優雅な花の咲く庭園となっていた。水しぶきをあげて泳いだ川は、きれいに整えられ橋がかけられている。
そこには聖王国の王族が使うにふさわしい、白い離宮があった。
「どう…して…」
つぶやくアメリアの横で、従兄弟が感心したような声をあげる。
「へえ、いい所になったじゃないか」
「はい」
聞き憶えのある声にアメリアが振りむけば、去年会った領主が満面の笑みを浮べて立っていた。
「アメリア様はこの土地がたいそうお気に入りのご様子でしたので、少しでも喜んでいただければと思い、整えさせていただきました」
「ミアンおばさんは?カトルは?」
「え?ああ、村人は立ち退かせました」
領主は少し慌てた口調で言葉を続ける。
「むろん十分な金を渡しました。決して無理には……」
弁解じみた領主の視線は、アメリアを通り越してその父親に向けられていた。
「そうか、ご苦労だったな」
フィリオネル王子の声には、どこか苦い響きがあった。
「身にあまる光栄でございます」
父親と領主の会話を聞きたくなくて、アメリアは走りだした。
「アメリアっ!?」
止める声に振り返りもしないで、大好きな村のあった場所へと走る。
出来上ったばかりの離宮は、夜に開かれる祝宴の準備でごったがえしていた。
「カトル知らない?」
「知らねえなぁ。おっとごめんよ、急いでるんでな」
「ねえ、ミアンおばさんはどこ?」
「ごめんなさいね、今いそがしいの。あら?あなたは」
忙しそうに働く人々をつかまえて尋ねても、大好きな人達の行方は分からない。
磨き上げられた回廊を、豪華に飾られた広間を、花の咲き乱れる庭園を、探して、探して、探して。
そうして小さな王女は、庭の片隅で泣いていたのだった。
「ごめん…なさい、ごめんなさい…えっく」


むやみに物を贈ったり、受け取ったりしてはいけない。特別な繋がりのある証しとされてしまうかもしれないのだから。
出された食事は、きちんと食べなくてはいけない。理由もなく残したりすれば、作ったものが責任を取らされるかもしれないのだから。

高い地位にある者は、それ相応の義務を負う。

ものごとを好き嫌いで判断してはいけないし、たやすく口にしてもいけない。いつもそう教えられていた。

―わたしが、好きだなんていったから……―


アメリアのとぎれとぎれの説明を聞いた少年は、ふふん、という表情をした。
どうやらこの子供の親に取り入ろうとした奴がいて、そいつがどこかの村の住民を強引に立ち退かせたのだろう、と見当がついたようだ。
「お前のせいじゃないさ」
ぶんぶんと首をふったアメリアの耳に入ったのは、意外な言葉だった。
「そいつら自身のせいだ」
「ふぇ?」
その少年は、苛立つように言葉を続けた。
「無茶な命令に逆らえず、言われるままに立ち退いたんだろう。だったらそいつらに力がないのが原因だ」
吐き捨てるように言って、ぎりっと歯をくいしばる。
「力がないのが悪いんだ」
それはまるで、自分自身に言っているように聞こえた。
「ちがうっ!!」
思わずアメリアは大声で叫んだ。
「ちがうもん、ちがうもん、ちがうもんっ!!」
―おばさん達が悪いんじゃない。力がないのが悪いだなんて、そんなの、そんなの……―
胸に渦巻く思いは、涙になってあふれでた。
「うわぁぁぁん、ちがうもぉぉんっっ!」
大好きな人達がばらばらになってしまったのが悲しくて。
それが自分のせいかと思うとせつなくて。
なのに『力のないことが悪い』の一言ですませられてしまう。
あの優しい村の人達が、追い立てられていいはずなどないのに。
理不尽。
不公正。
不平等。
言い返せる言葉をアメリアは知らなかったから、ただ泣くしかなかった。
「うわぁぁぁん、カトルが悪いんじゃないもぉぉんっ!」
目の前の女の子にいきなり大声で泣き出されて、少年はあせった。
いかにも大切に育てられている、いいところのお嬢ちゃんといった様子に、思わずつついてみたのだが、まさかこうも盛大に泣かれるとは。
「な、泣くな」
慌ててなだめてみても、大粒の涙はとまらない。
「ミアンおばさんが…悪いんじゃないもんっ…うぇぇっく」
「分かった、俺が悪かった。頼む、泣かないでくれ」
小さな女の子の扱いには慣れていないのだろう。少年は助けを求めるように、あたふたと辺りを見回した。やがて何かを思いついたように、アメリアの目の前に握った自分の手をさし出した。
「ほ、ほらっ。見てみろ」
「ふぇぇぇ…?」
素早く呪文を唱え、ゆっくりと手を開く。
「ふわぁぁ…」
アメリアは泣くのも忘れて目をみはった。
ひとつ、またひとつ。少年の手からいくつもの淡い色の光が生まれでた。
花のつぼみほどの丸い光は、ゆらゆらとただよい宙にうかぶ。そして蛍のようにまたたきながら、二人のかくれている茂みの中をやわらかな光で満たしていった。
「すごいすごい、なんの魔法なの」
「『明り』のアレンジだ。たいした魔法じゃないさ」
いくつもの光が羽を休める蝶のように、アメリアのまるい肩や、そっとのばした指先にとまってまたたく。
「きれい」
まだ涙のあとが残る顔で、アメリアはにっこりと笑った。
少年はほっとしたように息をつくと、ポケットからハンカチを取りだし、アメリアの顔をぬぐってやった。
「ありがとう」
きちんとお礼を言い、アメリアは丸い瞳でまじまじと少年を見上げた。
―この人、だれなんだろ―
この離宮で働く者には見えないし、魔法も使えるらしい。
「あなた、お客様?それとも従者の人?」
首をかしげて聞くアメリアに、少年は苦笑しながら答えた。
「よく知ってるな、従者なんて言い方」
少年は手近にあった葉をちぎると、くしゃりと手の中で握りつぶした。
「招かれたのは俺じゃないからな。従者みたいなものだな」
「ふぅん?」
そういえば、離宮の中を走り回っていた時、なんだか偉い人が来ると誰かが言っていたような気がする。
たしか、赤…なんとか。
「お前、名前は?」
「アメリア」
「へえ、この国の王女と同じ名前だな」
言われてアメリアはぎくりとした。
だが相手は、まさか目の前の女の子が、その王女だとは思いつかないらしい。
少し安心して今度はアメリアが聞いてみる。
「あなたの名前は?」
「俺の名は…」
言いかけて少年は、ふっと顔をあげた。形のいい眉がよせられ、眉間に皺ができる。
「わかった、今行く」
彼にしか聞こえない呼びかけに答えるように、小声でつぶやくと少年は立ち上がった。
「俺はもう行く」
「そう、さよな……」
別れを言おうとしたアメリアの頭に、突然、稲妻のように映像がひらめいた。
白いマントに返り血を浴びながら、剣をふるう者がいた。
素早い動きに細い銀の髪がなびいて、金属質の光を放つ。
肌は青黒い石のようなものに覆われ、一見して分かる人とは違うその姿。
向かってくる者を容赦なく切り捨て、逃げる者にも背後から呪文を放つ。まるで楽しんでいるかのような、残酷な戦い方をする一人の狂戦士。
ただその瞳が、痛かった。
剣で、魔法で、策略で。
戦わなければ生きのびられない。だけど戦うことで自分自身も傷つけて。
そして傷を癒されることを望まない、傷ついたことすら自分で認めようとしない、そんな瞳に見えた。
それがアメリアには、たまらなく痛かった。
「だめっ!」
アメリアは、少年の腕にしがみついて引き戻そうとした。
少年は驚いて振りむく。
「な、なんだ」
「いっちゃだめっ」
必死にしがみつくアメリアの口から、憑かれたような言葉が流れ出した。

『それはあなたの望む力ではありません』

「なにを言ってるんだ、アメリア」

『何かを得れば、何かを失う。 でもそれは自分で選ぶもの』

少年の肩がびくりと震えた。

『あなたは、長い旅をすることでしょう』

くいいるようにアメリアを見つめる少年に、なおも言葉は続く。

『戻る道ではなく、進む道を選びなさい』

戸惑う少年に、つつみこむような笑顔がむけられた。
優しくて、強くて、清らかで。それは子供の顔ではなくて、まるで遠い時の向うにいる誰かから贈られたもののようだった。

『あなた…は、共に…歩む者…と、出会うの…ですから』

いい終えると同時に糸が切れたように、アメリアの小さな体が倒れかかる。少年は急いで手を伸ばしてそれを支えると、アメリアの顔をのぞきこんだ。
「お前…巫女か?」
「知らない」
おびえたように首をふるアメリアの顔は、子供の顔に戻っていた。
「俺が望む力ではないとは、どういうことなんだ」
「わからない」
「お前が言ったんだろう」
「でも、わからないの」
少年は、ほっとため息をついた。
巫女は媒介なのだから、神託の意味は神官や魔道士が判断することが多いのだということを、少年は知っていた。
それに今の言葉が神託だったとしても、自分のことを言っていたとは限らない。
「そうか」
少年は木の根元にアメリアを座らせて、落ち着かせるように頭を軽く撫でてやる。そしてその場から立ち去ろうとした。
その足にアメリアがしがみつく。
「な?放せっ」
「いっちゃだめっ!」
「だから、なぜだ」
「わかんないけど、だめっ!」
「無茶を言うなっ!」
じたばたともみ合う二人に、うっそりと大きな人影が近づいて声をかけた。
「おお、ここにいたのか。探したぞ、アメリア」
「父さん」
立ち上がって駈け寄ったアメリアを、フィリオネルは大きな胸に抱きとめる。
「父さん、父さんっ。村のみんながっ」
よしよし、というようにアメリアを抱きあげると、フィリオネルは安心させるように言った。
「村人達は、みなそれぞれの場所でちゃんと暮しておるそうじゃ。いつか訪ねてみるとよい」
「わたしがいけないの。わたしが好きだなんて言ったから」
「そうではない。ただ正義がなされなかったのじゃ」
そんなやりとりを見守る少年の表情は、辺りをつつむ闇に隠されている。
少年はフィリオネルに軽く頭を下げると、アメリアが止める間もなく急ぎ足でその場を去っていった。
少年の後ろ姿が闇に溶け入って見えなくなる。
父親の胸に頭をもたせかけながら、アメリアは小さな声で問いかけた。
「父さん」
「なんじゃ」
「正義って、なぁに」
「正しいこと、かの」
―正しいこと、わたしにそれができるようになれば……もう…―
その夜、小さな王女は正義の使者になろうと決めた。


たった一人のひとのために、世界を滅ぼすかもしれない魔法を使った人がいた。
その人を、どこまでも守ろうとする人がいた。
生きようとする魔族がいた。
全てを無くしてしまおうとする竜族がいた。


そしてその場限りの約束も、言葉だけの優しさも持てない人がいる。
「では、俺は行く」
「はい」
人の体に戻る方法を探す旅。
厳しい旅を続けなくてはいけない彼の、重荷にはなりたくなかった。
「元気でな」
「あの…これ」
宝石の護符を手渡したのは、せめてこれだけでも一緒に連れていって欲しかったから。
魔族の侵攻と諸外国との関係が微妙な今、アメリアは王女としての努めを投げ出すわけにはいかなかった。
「いって…らっしゃ…」
笑顔で見送ろうと思っていたのに、のどの奥がつぅんと痛くなってアメリアは顔をふせた。
ゼルガディスの両腕がアメリアの肩にかかって抱きよせる。
「アメリア」
呼ばれて顔をあげると、ゼルガディスの顔がすぐ近くにあった。
冬にも緑を絶やさない針葉樹の葉にも似た、強くて優しい瞳がアメリアを見つめる。
そしてこらえきれなくなったように、ゼルガディスはアメリアを強く抱きしめた。
「アメリア、俺は…」
「ゼルガディス…さん」
そっと重ねた唇は、やわらかかった。
―わたしも一緒に…―
言ってしまいそうになったその言葉を、ゆるやかに流れ込んできた映像が押し止めた。
―あ?―

明るい茶色の髪をかきあげながら、すこし照れたように笑う人がいる。
緑がかった青い瞳。
少し日に焼けた白い肌。
それは見たことのない、でも見間違えるはずのない人。
それが誰だか分かったから、アメリアは今度は心からの笑顔で言えた。
「いってらっしゃい。ゼルガディスさん」


そして彼女はひとりでおどる。
宮廷儀礼と権謀術数のただなかを。
神に祈り。
魔に挑み。
人に寄り添い。

いまは彼女はひとりでおどる。
あの日見た映像を胸に秘めて。
しなやかに。
かろやかに。
凛として。

―ゼルガディスさん―
あなたの行く荒野に、いつも星が輝きますように。