夜明け前

 

by wwr

 
 
おだやかな昼下がりだった。
悪いことなどなにひとつ起きていないかのように、陽射しがこぼれ風がそよぎ、小鳥はさえずり…。
「…二人に…してもらえますか……」
いつも冷静な彼女が、扉がしまる前に彼に手をのべたのは、のこされた時間を惜しんでのことなのか。それとももう部屋を出てゆく者たちの足音も聞こえなかったからなのか。
「ルーク……」
「あ、あんまりしゃべるなよ。その…体に…よくないぜ…」
ルークはさしのべられたミリーナの白すぎる手をとる。それは白く細く、冷たかった。
ふたりだけの部屋の静かさが怖くて、ルークはしゃべりだす。
「まったく、しょーがねーよな、あいつら。かんじんな時に使えねーんだからよ。心配しなくていいぜミリーナ。俺がもっと腕の立つ魔法医を、すぐ連れてくるからな。薬草だってよ…回復用のアイテムだって…なんだって……なんだって…持って……くるから……だから……」
冷たいミリーナの手を頬におしあてて、ルークは言葉をつまらせた。そんなルークをミリーナは静かに見つめる。身をおこしたくても、もう自分にはその力はのこされていないのがミリーナには分かっていた。
精一杯ルークの方に顔をむける。それにつれてベッドの上に広がった銀の髪が、力なくうごいた。
「あの人達のせいじゃないわ」
「ミリーナ…」
「責めないで」
―誰のことも…―
ルークの瞳に黒い炎がゆらめく。
「許さねえ…ゾードも…大神官の奴らも…」
「ルーク…だめよ」
―あなたは…まっすぐすぎる人だから…―
ミリーナの眉が哀しげに寄せられた。受けた毒は全身をむしばみ、体中がまるで氷の中にいるように冷たい。ただルークに握られている手だけが熱かった。
ミリーナの命を繋ぎとめようとするように、きつくにぎりしめるルークの手。その上にしたたり落ちる涙。
ルークのくいしばった歯の間から、祈りのような言葉がもれる。
「俺は…お前がいなきゃ駄目なんだ。お前がいないと……俺は…頼む…頼むから…」
か細い息の下から、ミリーナがささやくように応える。
「……馬鹿……」
―馬鹿なのは私。…もっと…あなたに……―
「ルーク……憎まないで…誰のことも…」
―あなた自身も…―
「できねぇっ!お前をこんな目にあわせた奴らを許せねぇっ!」
二人だけの部屋に、ルークの声が悲鳴のように響く。
「…ルー…ク……」
ミリーナは哀しいような、愛しいような、少し困ったような笑みをうかべた。
「分かった、何だってやる。だから……ミリーナ?……ミリーナっ!いくなぁっ!」

彼の祈りを聞きとどける者はいなかった。

「…う…うあぁぁっ…あ?」
安宿の一室、薄汚れたベッドの上でルークは目を覚ました。
「…夢か…」
ごしごしと顔をこすると、涙で指先がぬれた。
まだ外は明るい。夜までにもう一眠りするつもりで、ルークは目を閉じた。ここ数ヶ月、昼間に出歩くことはなくなっていた。
昼の光はあかるすぎるから。人にも物にも容赦なくふりそそぎ、大事な人の不在までくっきりと照らしだす。それがルークは厭だった。
うとうととしていると、胸にはさまざまな思いが浮びあがる。

大神官達を殺しても、ミリーナは帰ってこない。
大神官達を生かしておいても、ミリーナは帰ってこない。
―なら……気の済むようにやらせてもらうぜ―
切り刻んで、喉をかききって、殺しても殺しても気はおさまらなかった。心の底から沸き上がる黒い感情……憎悪。
心が黒く染まるたび、どんどんミリーナの顔が遠くなる気がするのは、なぜだ?

『―殺しなさい―』
『殺したいんでしょう?私を』
殺すのと、殺されるのと、どっちが楽なんだ?

『―この場所―!』
『……おぼえてる……?』
『……っ……!』
憎みきれなくて、許しきれなくて。あいつらにさえ背を向けた。

闇の稼業に戻るのは簡単だった。忘れていたつもりの人殺しの技術は、あきれるくらいすんなりと、この腕に甦った。汚れた仕事も危険な仕事も、ルークは喜んで引きうけた。
ターゲットはもちろん、それが雇った護衛達も無造作に殺していく。相手を殺した瞬間の手応えだけが、胸のうちの黒い炎に出口を与えるような気がした。
いつしかルークは夕べの仕事をぼんやりと思い返していた。
商売敵から依頼された暗殺。ターゲットは中年の商人。
簡単に終わるはずの仕事に失敗したのは、護衛に雇われていた奴らの一人のせいだった。銀の髪に青みがかかった緑の瞳。鮮やかな剣技と精霊魔術。そいつと剣を交えているうちに、なぜか気がそがれて、仕事の依頼までキャンセルしたのだった。
「なにやってんだろうな…俺はよ」
つぶやいてベッドの上で寝返りをうつと、窓の外はもう夕闇色に染まっていた。
「…腹…へったな…」
ルークは、むくりと身を起こし食堂に出ていった。
安宿の一階にある酒場兼食堂。まっとうな宿には泊れない奴らばかりが、うすぐらい食堂で酒を飲み、食事をしている。ルークはその中に、隅のテーブルに座る見覚えのある白い人影見つけた。そいつは、すっぽりとフードで顔を覆い、マスクを口もとぎりぎりまであげている。うさんくさい奴らが集まるこの安宿では、顔を知られたくない奴のほうが多い。お互い詮索しないのが、ここの暗黙のルールだった。
「よお、隣いいかい?」
そいつのいるテーブルに近づくと、返事もまたずにルークは腰をおろす。
「あんた、ゆうべダグラスの用心棒に雇われてただろ?」
「俺は暗殺者に知り合いはいない」
―へぇ、バレてるぜ―
そっけない口振りが、なぜだかルークには懐かしかった。
「まぁそう言うなよ。お互い仕事は仕事。終わればかんけーねーさ」
そう言うとルークは酒と料理を注文する。
「俺はルークって言うんだ。あんたは?」
「なぜ暗殺者などしている?」
白い服の男は、ルークの問いに質問で応えた。
「さあ…なんでかな…」
ルークは運ばれてきた酒をぐっとあおった。
「女にでもふられたか?」
さらりと言われて、ルークは静かにグラスをテーブルに置いた。
「…違うよ…」
ぎらりと底光りのする目で、正面の男をにらみつける。
「あんたには、わかんねえだろうけどな…。そんな…体じゃよ…」
言われた男は、動じた様子もなく食事を続ける。
「ああ、俺には分からんし、分かりたいとも思わん」
男のフードの下からは、銀色の髪が金属質の光を放っていた。目の周りの肌は青黒い石で覆われて、ロックゴーレムを思わせる。ただその瞳には静かな、だが強い意志があった。
「だがな、お前は暗殺者には向いていないな」
「けっ、大きなお世話だぜ」
「なら他のテーブルに行ったらどうだ」
「うるせーよ」
いつものルークなら、とっくに短剣を突き立てていただろうに、そのままテーブルに居座りつづけ、酒をあおった。注文した料理をつまみあげ、ついでに相手の皿の料理までつまみあげて口に放り込む。
「なにをする、それは俺のだ」
「いーじゃねーかよ、減るもんじゃなし」
「減る…」
憮然とした表情で男は皿を自分の方に引き寄せた。
「まったく、なんだってこんなところで食い物の取り合いをせにゃならんのだ……リナじゃあるまいし……」
男がぶつぶつ言った言葉に、ルークは驚きの声をあげた。
「おい、リナってまさか、あのリナか?」
「お前知ってるのか?あのリナを?」
今度は男が驚きの表情をうかべる。
「胸無しの」
「どらまたの」
「盗賊殺しの」
「あのリナか!?」
最後のセリフをかさねて言うと、二人は同時に剣を構えて背後を警戒した。どうやらスリッパも、攻撃呪文もとんではこないようである。
ほっと一息つくと、顔を見合せて苦笑いをかわす。
「俺の名はゼルガディスという」
ゼルガディスはそう言うとかぶっていたフードをはずし、ルークのグラスに酒を注いだ。
「あんたも、あいつらと旅をしてたのかい?」
「ああ、もう2年ぐらい前になるか。元気だったか?ガウリイの旦那も」
「ああ、尻にしかれてたけどな」
「相変らずのようだな」
そう言って二人はグラスを合せた。
カチン。
思わぬ場所で聞く、かつての旅の仲間の消息。
「そーそー、あいつらと一緒だと、とんでもない目にあうんだよなー」
「ああ、まったくだ」
『そこにいない共通の知り合い』の話を肴に、盛り上がる二人だった。リナのことを知らない相手なら、とうてい信じられないようなことでも、一緒に旅をしたと言う共通の経験をした相手には話せる。
「魔族はぞろぞろ出るしよー」
「それも滅多にお目にかかれない、上級魔族ばかりだしな」
当人がそこにいたら、とても話せないことも今は口にできる。
「まだガウリイの旦那は、保護者をしているのか?」
「あの男もなー、いーかげん決めちまえばよさそうなもんだがなー」
「ああ、あのリナの相手ができる奴が、他にいるわけもない」
「ははっ、そのとーり」
やがて夜も更け、ゼルガディスは腰を上げた。
「俺はそろそろ寝るとする」
「もう行くのかい」
「ああ、明日の朝は早く出発する予定なのでな」
「そうか、あばよ」
ゼルガディスは席を立ち、2、3歩歩きかけて振り返った。
なにか気にかかるものがあるように、この妙にひとなつこい、凄腕の暗殺者を見る。あのリナ達と旅をしていたのなら「悪人」のはずはない。しかし昨夜戦ったときの手応えは確かに腕利きの暗殺者のものだった。
金のためとも思えない。まるで誰も彼もを殺したがっているような、殺されたがっているような、そんな戦い方だった。
酔えないままグラスを重ねるルークを見るうちに、なぜだか言葉がゼルガディスの口をついて出た。
「あいつらの顔を、まっすぐ見られなくなるような真似だけはするなよ」
「……………」
無言でルークはグラスをあけた。
そんなルークを見るゼルガディスの胸に、昔の記憶が甦る。キメラにされ、レゾの狂戦士と呼ばれていたころの自分。胸のうちで荒れ狂うものをどうしていいのか分からずに、荒みきっていた自分。しかしあの時自分は仲間に出会えた。そして今も待ってくれている人がいる。
―だが、こいつは?―
ゼルガディスは、もう一度ルークに声をかけようとして……やめた。もがいて、苦しんで、それでも答えは自分で出すしかないのだ。
「ではな」
それだけ言って、ゼルガディスは静かに立ち去った。のこされたルークは酒をあおりつづける。
一人、また一人、食堂からは人気がなくなり、やがて灯りも消され暗闇の中で独りルークは、テーブルに座りつづけていた。
「……いい…のか?…まだ…」
ルークの口から、押し殺したような呟きがもれる。

赦しも救いも今はいらない。
癒されることなど望まない。
だけど教えてほしいことはある。
あいつに何もしてやれなかった俺は。
あいつの最後の言葉に背を向けた俺は。
「ミリーナ……」
―まだ……お前を……好きでいても……いいのか?―

夜明け前、闇はまだ深い。