はだな思いそ 命だに経ば

 

by 眠林

 
 
――2020年4月。

「またきみはへそを曲げているのかい?」

頼もしくも厳しい近侍の声が上から降ってきた。
厳戒態勢の現世から戻り、審神者の部屋で座布団を抱えて畳に転がっている私を、仁王立ちの歌仙兼定はばっさりと(言葉で)切り捨てた。

「私室だからと言って寝転がるのはやめたまえ、行儀が悪いよ」
「…………」
「しかも外出着のままじゃないか。皴になってしまう」
「…………」

お説教の傍ら、私が帰るなり放り出した荷物達はてきぱきと片付けられていく。彼がこういう物言いをするのは、私が悩んだりへこんだりする理由がよく判っている時だ。

「きみ、現世では疫病が流行っているんだろう?僕たちは別に平気だが、ちゃんと外から帰ったら手洗いとうがいを」
「…………見たかった」

呟いた私の顔を、歌仙は、手を止めて上から覗き込んだ。……良かった、本気で怒ってるわけじゃなさそう。
やや安心した私は、そのまま近侍に甘えることにする。

「……私の時代の、刀の、『歌仙兼定』。見たかったのに……」
「知っているよ」

私の『歌仙』は、いつものとろけるような顔でふわりと笑った。

「きみが僕のことに興味を持ってくれるのは嬉しいけどね。あそこは小さな美術館だ。今、現世で人を密集させる訳にはいかないのだろう?」
「……うん」
「あの辺りは平成令和の頃も静かで良い所だよ。騒ぎが収まったら散策するといい」
「実はもう、目白台には何度も行ったわ」
「ほう。それはそれは」
「最初に見た細川さんのコレクションはね」
「何だい?」
「あ~」

寝転がったまま、私の目がちょっと遠くなる。

「2015年の春画展」
「………………まあ、それも文化の一部分だね」

言い訳をしつつ眉間を揉む歌仙に、私は少しだけ笑った。
細川の末裔も収集癖に節操が無い……とか、正月の挨拶に取り交わすだけの些末な物を大仰に展示するのは雅じゃない……とかぶつぶつ言う背中を見て、やっと私の四肢にも起き上がる気力が戻ってきた。
よっこらしょ、と掛け声をかけて座り直すと、また、やや非難めいた視線が飛んできた。気にせず私は続ける。

「水神社のあたりには、猫がいっぱいいて可愛かったわよ」
「街道沿いの鶴亀の松は、まだ在るかい?」
「あぁ、それはもう流石に。写真でしか見たこと無いなぁ」
「それは残念だが……栄枯盛衰は世の常だ。仕方ないね」

そこまで言って、ふと、歌仙は何かを数えるような仕草をした。

「僕は計算ごとは苦手だが、うちはかなり後発の本丸の筈だ。そういう事なら君が最初に細川屋敷を訪れたのは、まだ審神者になる前なのでは?」
「ええ。そうよ」
「……偃息図が取り持つ縁で僕が最初に選ばれたとは、あまり考えたくはないのだがね」
「あのねぇ、流石にそんな事ははないわよ」

確かに、縁のある土地の刀と言うのは、選ぶ理由の1つになったかもしれないけど。
あの時は、こんなにずっと変わることなく、最大の信頼を寄せ、常に傍に置く事になるとは思っていなかったのだ。……何だか不思議。
先刻まで停止していた私の頭も動き出した様子なのを見て、歌仙は安心したようだった。

「さてと」

彼は立ち上がって襷を掛けながら言った。

「僕は夕餉の支度にとりかかるから、今日の分の任務は目途を付けておくんだよ。細川の所蔵物の公開が少々遅れた為に審神者の仕事が滞ったなんて、こんのすけに報告させないでおくれよ」
「はいはい。判ったわよ……」
「それから!」

頬を膨らませる私に、我が愛する初期刀は腰に手を当ててこちらに向き直り、胸を張った。

「君には、この僕が居るだろう。この歌仙兼定を、何時でも愛でていられるのだから良いじゃないか。違うかい?」
「…………。」


――その日の我が本丸の諸任務は、極めて意欲的に、速やかに、大きな成果をもって成し遂げられた事を、ここに(内緒で)記しておく。







命あらば 逢ふこともあらむ我がゆゑに
 はだな思ひそ 命だに経ば
――「万葉集」狭野茅上娘子