六夜

 

by にしゃと

 
 




「良い、月ね」
虫の音さえも響かぬ静けさの中、天空には少しだけ欠けた下限の月。
突然に背後から耳元に落とされた囁きに、眉一つ動かさず、白い男はゆっくりと振り返った。
「珍しいな、君が青江の傍を離れるとは」
「そうね。私達はもはや魂の緒が溶け合って、ふたりであって、一つのもの。でも・・・」
このくらいの距離なら容易いこと、特に主様の結界の裡ならば。
微笑を張りつかせたまま死んだ女は、ころころと笑ったままで実体のない腕を男の首に絡めた。
「あの子がね、私くらいがちょうど良いだろうからって」
貴方は生きているモノの前では決して泣かないでしょう? 特に年下の子たちの前では。
抱きしめる女の腕に体温は無い。半分以上透けた女の向こうから、白い月が柔らかな光を注ぐ。
「辛かったでしょう? 痛かったでしょう? でも、貴方は、後悔してはいない」
「・・・そうだな」
金色の瞳は揺らぐことなく月を見つめる。
「今なら、誰も見ていない。私はこの世のものでもない。貴方が望むなら、月の光も一時遮ってみせましょう。・・・・・・それでも、貴方は泣かないのね」
「君より、俺の方が年上、だからなぁ」
触れることのできない黒髪を優しく撫でて、男はそっと溜息を零した。
「あぁ、それでも、聞いてくれるか?」
「えぇ、もちろん」
「あの子らの手は石を投げるための手ではなかった。畑を耕し、食物を育て、命をはぐくむはずの手だった」
「ええ」
「信康は正しい。皆が飢えることが無ければ、命をはぐくむ手が武器を取ることはない」
「・・・ええ」
「生きられないから、死後の世界に救いを求める。知ってるか? パライソの別名はユートピアとも言うんだ」
「ゆうとぴあ?」
「”どこにも無い場所”という意味さ」
女の透けた体の向こうに、欠けた月を見る男の目は、どこまでも乾いている。
体温を持たぬ女は、ただ静かに微笑んでいる。


そんな夜が、どこかにあったかもしれないお話。