黒 き 猫

 

by 眠林

 
 
川のほとりの小さな神社の参道前に、猫が一匹ちょこんと座っていた。
驚かさない様にゆっくりと近づき、そおっと人差し指だけを差し出す。猫はふんふんと匂いを嗅いでから、のそりと立ち上がり、夕風の渡る急な坂道を登り始めた。
時々振り返って、「こっちへ来い」と言うように、しっぽを振りながら。

坂を上がり切ると、左手の林の中には小さな美術館がある。
猫は物怖じもせずに敷地に入っていき、玄関の前あたりでくるりとこちらを向くと、にゃあと泣いてそこに座った。
私はまたそっと、手を伸ばす。
鼻から額にかけて、触っても嫌がらないことを確かめてから、丁寧に、その黒い頭を撫でる。
遠慮がちに、且つ、敬意をもって、私は猫に触れながら話しかける。

「あの人に……、宜しく伝えて頂戴」

猫は、黒い猫は、ごろごろと喉を鳴らす。
私の言葉を理解しているのか否かは、誰にもわからない。

「あの刀に、歌仙兼定に、伝えて頂戴。貴方に会えるまで、何度でもここに来るからねって」

猫はふと目を見開き、またにゃあと泣いた。
そして私の手をすり抜け、建物の裏へ走り抜けていく。
追いかけて植込みの奥を覗いても、もう黒い猫の姿を見つけることはできなかった。

苦笑まじりの溜息をついて、私は、美術館の入り口を見やる。
丁度、受付に座っていた女性が玄関から出て来て、閉館準備を始めている。と、言う事は、下の庭園のカフェも閉まる時刻だ。折角来たのに残念だが、ここの入館も、庭園でのお菓子とお茶も諦めるしかないようだ。
私は美術館の玄関に背を向ける。

「"かせいた"、食べたかったなぁ」

円い石の門をくぐりながら、私はひとりごちた。
肌寒くなってきたが、庭園の池を見下ろしながら、ちょっとぼんやりするだけでも良いかもしれない。神社の反対側にある芭蕉庵も、もう少しの間は開いていた筈だ。

「いつまで待てば、見られるかなぁ」

私の"本丸"で待つ、美しい男の姿をした打刀の事を思い出す。
貴方は、私がここで、また溜息をついていることを知ったら、どう思うのかしら。
「僕に興味を持ってくれるのは嬉しいね」と、喜ぶのか、
「君にはこの僕がいるだろう」と、嫉妬するのか。

「……いつ、会えるのかなぁ」

庭園へ下りる階段の手前で立ち止まり、私は、林の中にひっそりと建つ洋館を振り返った。
この令和の時代まで受け継がれ、100年前からここに所蔵される『歌仙兼定』。この目で見るのは、まだ先の事になりそうだ。
それでも、ここの『黒き猫』に会えたと、ここの貴方に言伝を頼んだと言ったら、うちの歌仙はどんな顔をするだろう。

「……それとも、内緒にしといた方が面白いかなぁ」

思案しながら、私は、緩やかに曲がる階段を、池に向かって降り始めた。






灯を 継いで待ちなむ この秋も
目白の丘の あなたと私と