酒を酌んで君に与う

 

by 眠林

 
 
あの日私は、かなり荒れた心持ちで本丸に帰ってきた。
現世の生活の中で、物凄く腹が立って、割り切れなくて、悲しくて、情けない事があって。この気持ちのまんまで鍛刀なんかしたら、時間遡行軍を呼び出してしまいそうな顔をしていたと、後に、三日月が笑いながら言っていた。笑い事じゃない気がするけど。

で、その日私は鍛刀も、遠征の指示すらもせず、審神者の部屋に引きこもっていたのだ。近侍の歌仙が心配そうに様子を窺っていたのは判っていたけど、博識な彼に意見を求めるほど前向きにもなれず、かと言って審神者の仕事を進める気にもなれず、ましてや鶴さんや短刀達と遊ぶ気にもなれず、私は自分の部屋で膝を抱えていた。

それでも、畳の香りをかぎながら、庭を渡る風の音などを暫く聞いていると、心の中のもやもやしたものが少しずつ治まってきた……ような気がした。
手入れの行き届いた部屋のお陰か(勿論掃除してくれるのは歌仙である)、現世から物理的(?)にも切り離されているからか、マンションの私の部屋に居るよりは、ずっと落ち着く。時々、いろんな足音が部屋の前まで来ては、心配そうにちょっと立ち止まり、また遠ざかっていくのも有難いやら申し訳ないやら。日も落ちたし、流石に今日の任務くらいは……と、そろそろと障子に手を掛けようとしたら、それはいきなり外からぱあんと音を立てて開いた。

「さあっっ、呑むよぉ~~~っっ」
「わ~~~~っ」

乱入してきたのは内番着の次郎太刀。

「何よ~~アンタ帰ってるんなら顔くらい出しなさいよおぉぉ」
「いやいやじろちゃん私まだ今日の分の演練すら回してないから今はちょっと」
「いーからいーから。あ。歌仙歌仙、おつまみお願い~~」

次郎は私の手を掴むと、廊下をずんずんと渡って大太刀の部屋に私を引きずり込んだ。引きずり込んだと言っても、青江が言うようなアレな意味ではないのだが、後で長谷部が聞いたら憤死しそうだなぁ……と他人事のように考えた。

次郎太刀と同室の太郎太刀は、その長谷部と一緒に遠征に出ている。次郎太刀は卓の前に私を座らせ、自分も隣に胡座をかくと、未開封の一升瓶をどんっと置いて言った。

「さてと。舌と心の滑りを良くしてじゃんじゃん喋ろうじゃないか。気が塞ぐときはこれに限るってね」

で、次郎は私に注ぎ、自分にも注いでじゃんじゃん呑み始めた。私も最初は口を付けつつ、当たり障りのない最近の本丸の様子などから話を始めたのだが、少しずつ、少しずつ胸のつかえがおりてくるような気がして、気が付くと、現世で抱えてきたもやもやしたものを、目の前の華やかな付喪神に溢し始めていた。よく考えたら、現代社会で受けてきたストレスを戦国時代の大太刀に愚痴るという、極めて不条理な状況なのだが、次郎太刀はつまらなそうな顔1つせず、ふんふんと笑って聞いてくれた。
その綺麗な顔を眺めながら、そういえば私は、同性の、年上で、気兼ねなく甘えられる人っていなかったなぁと思い出す。お姉ちゃんってこんな感じかなぁ。いやいや付喪神とは言え次郎太刀はあくまで男性なのだからそれはちょっと変だ。変だけど……。

「じろちゃん」
「ん~?」

隣に居る大きな肩にことんと頭を預けたら、その額の上を大きな手がぽんぽんと優しく撫でて行った。私は、そのまま離れようとする腕を捕まえて、その中に顔を伏せた。
……きっと今、私の顔はくしゃくしゃだ。

「ねえ、じろちゃん……」
「どした?あるじ殿」
「こんな時にお酒って」
「ん」
「…………美味しいね…ぇ……」

彼は、呵々と笑って言った。

「でっしょおぉぉぉ」

同時に、私の涙腺が決壊する。
何だかよくわからない感情に突き動かされながら、私は小さな子供みたいに次郎太刀の腕の中で泣きじゃくった。
彼は、相変わらずからからと笑いながら、私の頭を撫で続けてくれた。
いーんだよいーんだよ。我慢なんかしなくて。ぜーんぶ出しちまいな、と言う、彼の言葉を聞きながら、私は泣き続けた。

その後の事はあんまり覚えていない。

酔っぱらっておんおんと泣きじゃくる私を、軽々と運んでくれた頼もしい腕と、私の体を受け取りながら「あんまり飲ませすぎないでおくれよ、次郎太刀」と言う困ったような声だけが記憶に残っていた。

目覚めはすっきりしていて、二日酔いも無く、妙に元気に身支度をしている私を見やって、歌仙はやや心配そうに言った。

「大丈夫かい?」
「……うん、有難う。ごめんね」
「なら良いが……。あんまり溜め込んでもいけないよ。君は僕らの大切な主なんだから」
「うん。じゃあ、次は歌仙に愚痴ってもいい?」
「ははは。僕なら現世に出向いて2、3人切ってきてしまうかもしれないが、それでも良いかな?」
「あ~~。やっぱりやめとくわ」

冗談だと分かってても、乾いた笑いが漏れた。
それでも、この初期刀でほぼ常に近侍の彼の前では、凛としていたいという気持ちが戻ってきているのを確認できて、私の気持は既に晴れていた。

「じゃあ、行ってきます。今夜は鍋が食べたいな」
「了解したよ。燭台切に良い具合の野菜を準備させておこう」
「……貴方もちょっとは畑手伝ってあげてよねっっ」

お決まりの会話を交わして、私は本丸の門に向かった。
早くから庭に出ている短刀たちが私に向かって手を振った。

「いってらっしゃ~~い。主様」

そうだ。私は彼らの主なんだから。
しかも、現世の生活を捨てないで審神者をやると決めたんだから。
これしきの事で負けてられない。
私も彼らに向かって、思い切り手を振って答えた。

「いってくるね。私も頑張ってくるからね!」








酌酒與君君自寛  酒を酌んで君に与う 君自ら寛うせよ
人情飜覆似波瀾  人情の飜覆は 波瀾に似たり
白首相知猶按劒  白首の相知すら 猶お剣を按じ
朱門先達笑彈冠  朱門の先達は 弾冠を笑う
草色全經細雨濕  草色は全く 細雨を経て湿い
花枝欲動春風寒  花枝は動かんと欲して 春風寒し
世事浮雲何足問  世事浮雲 何ぞ問うに足らん
不如高臥且加  如かず高臥して 且くを加えんには