き十字の下す声

 

by M

 
 
十薬(菜)の無垢なる白き十字かな  渕野陽鳥




 とある本丸には、明確な時間による生活リズムがある。
 これは、人の肉体を得た本性が刀剣たる彼等が生物として、派遣される遠征先で人に混じる事が出来るように配慮されていると言う見方もある。
 かつて、本丸が生まれた―――この表現には幾つかの論争に満たぬ程度の意見交換が成されるが、この本丸に置いては主人たる審神者が「生まれた」と言い切っているので適用される。問題となった当時は両手の指で余るほどではあったが、何時の頃からか刀剣男士の数は増殖の一歩を辿り、今では常時100に満たぬ刀剣男士が本丸内部には存在している。
 初期の頃ならばいざ知らず、朝・昼・夜のシフトパターンに週休二日、それに伴う本丸内部での施設整備及び拡張、その他諸々。

「まずは、放送機器の導入だね」

 鶴ならぬ審神者の一言―――ここで某鶴の暗躍があったか否かは不明である。各自の私室を含めた放送規定が確立。これには、人の言う言葉を聞かずに身勝手な生活をする事で迷惑を被る一派が存在するのが理由だったりした。
 甘やかしていると言う自覚を、審神者は持っている……が、それでも予算の範囲内で行われてしまうと近侍―――交代直後に審神者の思い付きが実行される事が多い為、近侍の交代指示が出ると一部でピリピリが発生する事も珍しくない。

 閑話休題。

 放送による概ねの通達は可能になったが、元来で人より能力の高い面々である。
 あるいは、文明の利器より自ら実行する方を選択する刀剣男士も珍しくはない訳で。

「主様」

 緊急放送―――これが使われないことが最も平和である事は認識している。それでも、たまに放送で呼び出してくれても良いんだけどなあ……などと、審神者がひそかに思っている事を彼らは知らない。

「……あれ? 物吉君?」

 だが、今は。
 それこそ「そんな事より」である。

「はい」
「……よく、ここにいるって判ったね?」

 いつもの審神者の身にまとう衣装―――着たきり雀なのではなく、似た様な衣装を何枚か着まわしているそうだ。器用に裾を土に汚す事なく、審神者は畑……正確には、畑ではなく勝手に群生した植物の傍に座り込んでいた。

「ええと……なんとなく? こちらに来たら主様がいるんじゃないかなあって気がしたんです」
「そっか、わざわざありがとう。
 ……うっかり、久しぶりに時間を忘れてたよ。うわあ……腰に来るな……」

 しゃがんで座り込んでいた為、体が固まっているのだろう。
 ゆっくりと時間をかけて体を伸ばしながら、審神者は立ち上がる。

「草むしり……ですか? 言ってくだされば僕達でやりますよ?」
「草むしりと言えば、草むしりではあるんだけど……ちょっと思いついた事があって。ちょっと気になったけど、出来るかどうかも怪しいし、悪いかなって思ってね」

 この審神者の数ある欠点の一つが「まずは自力でやってみる」が多い事だ。
 一般的には悪い事とも言い切れないのだが、審神者と言う立場からしてみれば、そして仕える刀剣男士にしてみれば危険な行為ではないのではないかと言う気がしてならず不安になるらしい。

「主様! お気を確かに!」
「いや、まだ死んで無いから」

 あまり、体が丈夫とは言い切れない―――とは言っても、審神者本人曰く「日常で座り込んで書類仕事ばかりしているので運動不足だ」と言うのだが、周辺の基準が「刀剣男士」である以上は。いかに人と人非ざるモノを繋ぎとめる審神者と言えど、彼らにしてみれば身体能力に限って言えば深窓の令嬢の方が上と見られていてもおかしくないだろうと審神者は思っている。
 実際、そこいらの御令嬢は一般的なイメージより「とても」丈夫なので間違ってはいないのだが。

「倒れて頭でも打ったら、危ないですよ?」
「支えてくれてありがとう……体もだけど、おやつも無事なのは素直に嬉しいよ。たまに、せっかく巡り合えたおやつを放り出してえらい事になる場合あるし」

 この本丸では、大体は仕事部屋で作業をしている事が多いとは言え常にと言うわけではない。本丸から出る事はないとしても、本丸の「中」であればどこにでも行けるのが主人たる審神者の特権だ。
 故に、時間になるとおやつに限って言えば日替わりで当番が配達する……その際に、半分以上の確率で善意からの事故でまともに食べられなくなるのは、もう個性と言い切るのも苦しいのだが。

 今回、その点で言えば配達用番が物吉貞宗で良かったと審神者は思う。
 一部は過保護にも程があると辟易する刀剣男士もいるが……もしくは、表に出さないだけなのかも知れないが。

「気分はどうですか? お薬、飲めますか?」
「ああ……ちょっと立ち眩みしただけだから、少し休めば大丈夫だって……気持ちは嬉しい、ありがとう。座らせて貰っても良いかな?」
「はい……それなら良いのですが、ちょっとでもおかしいなってって思ったり、美味しく感じなかったら、本当にすぐ、僕でなくても良いので言って下さいね?」
「ああ、うん……」
「僕達は、主様を抱きとめる事だって、運んで差し上げる事だって出来るんですから!」

 純粋無垢、あるいは純心。

 腹のうちはともかくとして、これだけキラキラしい瞳をガン無視出来る人物であれば、人として問題だが。審神者としては、あるいは正しいのだろう。

「その時は、頼むね……」
「はい、お任せ下さい」

 天使の笑顔と言いたくなる程の、曇りなき表情。
 しかし、この本丸の審神者としても、あったとすれば雨の日に小動物から震えながら見つめられたりしたら、とりあえず連れて帰ってしまう事だろう。そんな事があった記憶は欠片もないし、そんな事をしたら叫び声を揚げる刀剣男士の顔が幾つか思い浮かぶけれど。

「慣れない作業でお疲れでしょう? 是非、甘いものでも召しあがってください」
「うん、ありがとう……今日は、おまんじゅうかな?」

 本丸の各所には、主に審神者の出没する所に限って椅子になるものがあちらこちらにある。
 今も、倒れかけた審神者を物吉貞宗が抱き留めた後で、近くにあった―――いつからあったのか、審神者は知らないが。縁台に腰かけさせていた事を認識したのは、体幹時間はともかく、実際の時間では優に20~30分はたっていた。

「はい、塩瀬の饅頭です。
 僕の前の主、徳川家康様がお好きだったんです」

 今、この本丸の刀剣男士の中で地味なブームとなっているのが「おやつ当番で前の主の好物を出す」と言うものがある。
 基本、全員分購入すると単純な数としては膨大になるし、かかる予算も莫大になる。そのため、実際には「塩瀬と同じレシピの饅頭」となるのだが、細かい事は良いのだ。

「おお……もっちりしているね、皮に山芋でも入っているのかな? こしあんもくど過ぎないし、甘さ控えめで形もシンプルでいいね、お茶ともよく合うよ」

 審神者は、いろいろな事に手を出す事がある……総じて飽き性の疑惑もあったりする―――本人曰く「出来る人がやればいい」と言う事で、上手く出来なかった言い訳とも取れる。もっとも、必要な知識は吸収しているので問題はないらしい。
 つまり、何が言いたいかと言えば。
 時々、こっそり厨で夜食やおやつを作ってしまう程度には自分で食べるものを拵える事が出来ると言うもので。

「お口に合った様で、何よりです」

 本丸内部とは言え、確実に夏は近づいている。
 だから、物吉貞宗だけではなく、おやつ当番の刀剣男士は常におやつに対して数種のお茶を用意している。もっとも、用意したのが誰かによって内容は色々な意味で異なるのだが。

「一杯目はほうじ茶だから、二杯目は緑茶がいいかな?」
「かしこまりました、ただいまお入れします……もう一つ、いかがですか?」
「じゃあ、いただこうかな? ありがとう」

 おやつ当番が用意するのは、産地は自分で選べるが緑茶とほうじ茶が多い。時に紅茶、烏龍、ハーブティ、麦茶に、変わり種だとたんぽぽコーヒー等もある。
 ポットに入れて置いたお茶を用意し、バスケットにおやつと供に本丸中を走り回って下がすのだから、当番もご苦労様と言う所ではある。
 面白い事に、審神者を探し出すのに性格が出るのか見つからない場合は本当に見つからない……時に、探し出すのを諦めると遭遇すると言う場合もある。

「美味しくて三つも食べてしまった……夕飯、どうするかな……」
「まあ、それは後で考えれば良いかと思いますけど。
 そう言えば、この草はどうするんですか? 何だか匂いますけど」

 審神者が先ほどまで座り込んでいた場所には、こんもりと小山を作った白い花を付けた草が積み上げられている。

「ああ、お酒に漬けようと思って。アルコール度数の高いお酒に漬けこむと、入浴剤とか虫除けになるって書いてあったんだけど。実際には未経験だから自分でやろうと思ったんだよ」
「へえ、そうなんですね……これって、十薬ですよね?」

 饅頭の美味しさに舌鼓を打ちつつ、さっぱりしたお茶に満足した審神者の耳に聞きなれない単語が飛び込んでくる。

「じゅうやく……?」
「あれ、違いました? でも、この独特な匂いは十薬じゃないかと思うんですけど……以前、薬湯を流し込むって話を聞いたことがあるんですよ」
「そうなんだ……ドクダミだとばっかり思ってた」
「え、毒なんですか?」
「いや、毒じゃなくて薬。後できちんと調べ直さないとダメかあ……」

 ちなみに、善は急げと「教師」を招いて問い質したところ、十薬とはドクダミの別称であり、アルコールに漬け込むならば一週間後、希釈濃度は計算するから少し分けて欲しいと言う、大変に有難くも頼もしい結果となった。
 畑の世話をしている最中での特別授業にしては安く上がったとほくそ笑んでいた審神者であるが、足取り軽く立ち去ろうとした背中に「宴会組が強い酒を分けてくれるといいけどな、大将」と言われ、一気に難易度が上がったと頭を抱えたのは言うまでもない。

 そして、おまけをつけるのであれば。
 当日の夕飯は、天ぷら定食だった事を加えて置こう。

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「何かムカつくから、今夜から二日晴れにして再度梅雨にしちゃる……しばらく洗濯も出来ずに呑み飽きればいいんだ……ホワイトリカーでいけるか?」

 案の定、予測通りに宴会組は「主と一緒に呑みたいからヤダ」と言う我儘を発揮してくれた為、一本でも持ち出す事を良い顔はしなかった―――日頃、酒蔵の管理は呑むものがする様にと任せているのが、ここに来て仇となったと言う見方もある。
 最終的には美容担当に説明をした事で何とか了解を得たわけだが……実は宴会中でも酔っぱらってないんじゃね? 説が浮上したのは別の話だ。


「ねえ、宴会組の皆さん?
 僕、ちょっとだけ酔っちゃったみたいなんですよね……楽しく呑む為に、主様に一本献上するのと。一本も減らないけど、当分の間呑めなくなるのと、どっちが良いですか?
 酔った勢いなんだから、何かあっても不思議じゃないですよね……文系じゃないとか言われそうですけど、せめて少しくらい風流に呑んでも罰は当たらないんじゃないかなって僕は思うんですが……皆さんは、どうですか?
 ああ……酔いが回って手元不如意かなあ?」

 ちなみに、この本丸における物吉貞宗はザルを超えたワクである。


終わり