賽の悪魔が嗤う夜

 

by ひいらぎ夏水 / 波水

 
- 中編 -
 
 
 月が雲に隠れて見えない夜。
 行灯の灯りが照らす中、そこは異常な熱気に包まれていた。
 広い台の周りに十人近くの男が密集して、こちらの動向を見守っている。着流しを右側のみ肌蹴させ、サイコロと器をそれぞれ手にして周りの者に掲げてみせた。
 入ります、というや否や、素早い動作でサイコロが器に吸い込まれたかと思うと、たん、と台に伏せた。
「さあ、張った張った!」
 大きく声を張り上げた直後、周りの男たちが丁だ、半だ、と声を上げる中、ふとある一点を見た。
 その視線の先には、賭場には似つかわしくない柔らかな雰囲気を纏った青年が、ゆったりと片膝を立てて座っている。派手な女物の羽織を纏い、その下に鮮やかな山吹色の着流しを着た、綺麗な顔立ちの青年だった。何より、肩の辺りで緩く結んだ、派手な黄色い髪に目が行く。煮詰めたように濃い蜂蜜色の眼差しも相まって、荒くれ者の集まる賭場に相応しいとは到底思えない。
 青年はしかし、台の上をのんびり眺めたかと思うと、まるで天気を確認するかのように呟く。
「二の五、半」
 そのどこか緩い口調に密かに片眉を吊り上げるが、振り払うように青年から視線を外し、声を張り上げた。
「揃いました」
 器を上げると中のサイコロは、二と五を上にしていた。
 場に響めきが起こる。またか、と呆れる声もする。サイコロを振っていた自分もまた、信じられない様子で青年を見るが、
「おや、また当たりましたか?」
 当の本人はコロコロと鈴の鳴るような声で笑うと、どこか楽しそうに言った。
 
 
 ここ一週間ほど前から、花街を中心にある噂が飛び交っていた。
 曰く、派手で博打好きの旦那衆がいるらしい。そいつは、どこかの大きな問屋の次男坊だという奴もいる。若くして財を成した実業家、という奴もいる。けれど、見た目を聞けばだいたい一致するものだった。
 黄色の長い髪を緩く纏め、派手な女物の羽織を着た美青年、だという。彼は花街の一等いい部屋で酒を呑み、遊女を侍らせて芸事に興じる変わり者、らしい。
 そんな眉唾ものの噂など、最初は信じてはいなかった。自分が言うのも何だが、そんな都合のいい奴がいるとは思えなかったのだ。
 しかし、実際に訪れた花街の館で、渦中の人物を見かけた時は、それはそれは驚いた。
 小さいながら活気のある花街の中で、一番大きな館に行くと、遊女や芸妓がこぞって楽しそうな声を上げていた。
「旦那さまがお見えになりましたよ!」
 玄関に入ってくる姿を見て、こいつのことかと納得した。にこにこと人の好い笑顔を浮かべながら、遊女たちに声を掛ける。
「久しぶりだね、姐さんがた」
「まあ、ご挨拶ですこと。今日は、ゆっくり遊んで行ってくれるんでしょ?」
「もちろんそのつもり。ああ、三味線も弾きたいから、貸してくれない? 合わせて舞って貰うのも楽しそうだ」
「嬉しいわ、旦那さまの三味線が聞けるなんて!」
 はしゃぐ遊女たちを連れ立って、青年は慣れた様子で廊下を歩き去っていく。それを眺めていると、傍らに立つ男が声を掛けた。ずんぐりした体形の冴えない年嵩の男は、噂を聞きつけて真実かどうかを見るために同行を申し出たのだ。
「間違いねぇ。あいつだ」
「そのようですな」
 素っ気なく返す自分を他所に、男は久しぶりの獲物に舌なめずりをした。小さな賭場を仕切る彼の頭には、もはやどれだけあの青年から搾り取れるか、算段を始めているようだ。
 一時間ほど経った頃、男は厠に行くふりをして青年を待ち構えていた。ふらりとやってきた彼に、手を揉みながら近づいていく。
「旦那さん、ちょいといいですか?」
「おや、なんでしょう?」
「いやね、旦那の噂をちょいと小耳に挟みまして。酒も女も目がないほどお好きなようだが、博打も随分とお好きだとか」
 主題を切り出した男に、青年は相合を崩した。
「そんな噂が。まったくその通りです。酒も女性と遊ぶのも好きですが、賭け事にも目がないのですよ。親父殿には再三絞られておりますが、なかなかどうして辞められなくて」
「それはそれは。実はあたくしのところでも、ちょっとした場を設けておるのですが、いかがでしょう。一つ運試しでも」
「そいつは願ってもない! 是非連れて行って下さい」
 喜色満面の笑顔で答えた青年に、男はにやりと笑んだ。では二時間後にお迎えに上がりますので、と約束を取り付け、彼から離れる。久しぶりの大物だ、と頭の中で算盤を弾く男に、ひっそりとため息をついた。この男は、搾れる相手と知れば、膨大な借金を抱えさせるほど搾り取るのが好きな奴なのだ。何も知らない青年には、運がない奴だ、と密かに同情を覚えるほどだった。
 だが、蓋を開ければ男の目論みはあっという間に崩れた。
 最初、あの青年がやってきた時、側に見知らぬ人物が静かに立っていた。狐の面を被り、日輪と炎の意匠をあしらった羽織に、深い緑の着流しを着ている男のようだった。長い黒髪を高い位置で結い上げ、耳には大きな耳飾りを揺らしている。ほとんど青年と変わらない背丈ではあるが、体格は彼の方ががっしりと鍛え上げられており、そのせいか青年の線の細さが際立って見えた。
「彼のことは気にせずに。わたしを心配して、親父殿がつけた護衛です」
 そう言って、気安い態度で肩を叩く。声を発することなく頷くが、博打が始まるとすっと気配を消して佇んでいた。
 それより、恐ろしいと思ったのは、青年の博打の強さだ。本人はあくまでも飄々としているが、賽の目まで正確に当ててくる。十回を数えぬうちに、彼の元には賭け札の山が積み上がっていった。
 そうしていると、青年の背後がゆらりと動いた。狐面の男が何か耳打ちすると、彼の唇が微かに動く。少しのちに、にっこりと笑みを浮かべたままこちらを向いた。
「申し訳ありませんが、残した連れがおりまして。次で最後にさせて頂けませんか?」
「あ、ああ」
 呆気に取られるが、気を取り直し、いつものようにサイコロを掲げてみせた。
「――入ります!」
 そして、運命のサイコロが振られる。
 
 結論から言えば、あの青年の圧勝だった。
 賭場の元締めは大損で、茫然と賭け札を金に戻す場面を眺めていたかと思うと、頭を掻きむしって喚き散らす。
「誰だ、あの若造を呼んできたのは!?」
 いや、あんただろ。ツッコミを心の中でしておく。
 それより、あの青年はこのままでは済まないだろう、と予測を立てた。実は賭場にいた男たちは、元締めが雇ったゴロツキで、何か有れば男の命令に従う。
「おい、あのお客人、お見送りしてやれ」
 濁った声で命じると、ゴロツキたちは加虐的な笑みを浮かべて返事した。やはりか、とため息をこっそりついて、自分もついて行くことにする。
 夜道を歩く青年たちに追いついたのは、しばらくした後の事だ。二人の周りを取り囲んで、通行料がどうとか言っている。なんて事はない、金を巻き上げて痛めつけるつもりでいるのだ。
 しかし、巻き込まれた青年たちは至って涼しい顔を崩さない。一人は面を被っているため、表情は分からないが。
「通行料など聞いてませんがね?」
 のらりくらりとかわす青年に痺れを切らして、ゴロツキの一人が殴りかかる。
 が、寸での所で動かなくなった。
「手を出さないで頂けないか」
 狐面の男が、低い声で言った。男の手首を掴んで、ぎりぎりと締め上げる。苦悶の表情で睨め付ける男の手首をさっと離したかと思うと、反対側の拳がその腹に打ち込まれた。
 くの字に折れ曲がって崩れ落ちる男に、周りのゴロツキが表情を変える。このガキ、と叫んで金髪の青年に飛びかかるが、彼はどういうことか情けない顔で呟く。
「難しいんだよなぁ。……手加減するの」
 その口調とは裏腹に、鋭く風を切る音がした。彼の放った回し蹴りが、飛び掛かった男の頭を直撃して、呆気なくその場に崩れ落ちる。予想もつかない光景に、慌てた様子の一人がまた叫んだ。
「バカが、まとめてやれ!」
 男たちが次々に戦闘態勢に入った。中には、匕首を構えた者もいる。
「あー、刃物まで出て来たよ。おっかねぇなぁ」
「よく言う」
「ちゃんと守れよ、俺弱いんだから」
「努力はする」
 まるで世間話をするような調子で言葉を交わし、二人の青年はすっと腰を落とす。その眼差しが、鋭い刃のように光るのを、見逃す事はしなかった。
 
 
 数分かからないうちに、ゴロツキたちは地に伏した。ああ、とかうう、とか呻き声を上げ、お約束の捨て台詞を吐く気力も削がれていたようだ。よろよろ逃げる男たちには一瞥もせずに立ち去ろうとしていたが、不意にちらりと視線を投げてきた。
「そろそろ出て来たら。いるのは分かってるんだよ」
 およそ同じ人物のものとは思えない低い声に、観念して茂みから這い出た。青年たちはばっくり開いた着流しの前を直し、こちらをただ見つめるだけだ。
「あいつらの加勢、しないの?」
「あんたたち二人に敵うわけないだろ」
 逃げる男たちを尻目に問われ、吐き捨てるように答えた。事実、刃物まで持ち出したゴロツキ相手に丸腰でやりあうどころか、あっさりと返り討ちにしてみせる程の実力ならば、自分一人で到底どうにかなるものではない。
「まあ、あんたはどうやら違うようだし。大方、先に潜入してた警官ってとこかな」
 薄く笑んで言った青年に、思わず息を飲んだ。何故、こちらの素性を見抜いたのか。
 驚愕の表情で固まるのを見て、彼は苦笑しながら自身の耳を弾いてみせる。
「俺、昔から耳は良いんだよね。奴らに比べて、あんたの音は落ち着いて整然としていた。それどころか、周りの状況を見て判断して、他の警官隊が乗り込む合図を伺ってるように聞こえた。違う?」
 こちらの作戦まで的確に言い当てられて、唖然とするしかない。そこまで言われて初めて、彼が何故博打に強いのか、分かったような気がした。こちらの反応に見かねたのか、狐面の男が声をかけてきた。
「騙し討ちのようになって済まない。ただ、彼方には被害が出る事はないから安心してくれ」
「被害? 何でだ」
 気を取り直し、二人を見て問う。
「あの賭場には鬼はいない。鬼の音は聞こえなかったからね。お前も、鬼の匂いはしなかったろ?」
「そうだな。お前からすると、ハズレだな」
「そうなんだよな。もう何軒か賭場潰すくらいしないと難しいかな」
 二人の会話は物騒で空恐ろしいものだが、前に聞いたことを思い出した。
 警察署で、特別に帯刀許可を与えた者がいるという。先日に賭場の強制捜査に踏み切った際、異形の者が警官たちを襲ったという報告があった。それを鑑み、ある屋敷に協同での捜査を依頼したという。
「まさか、あんたたちが」
 こんな年若い青年が、あの悍ましい異形に対抗できる刃だというのか。
「あんたたちが、鬼殺隊?」
 震える声音で問うと、二人は肯定の意を込めて頷いた。
 一人が狐の面を外すと、そこから現れたのは凛々しい眼差しに額の大きな痣が目立つ美しい青年だった。落ち着いた低い声が、穏やかに言葉を紡ぐ。
「紹介が遅れて済まない。鬼殺隊日柱、竈門炭治郎」
「同じく、鳴柱、我妻善逸。俺たちが、あんたたちの応援に来た隊士だよ」
 雲で隠れていた月が顔を覗かせ、辺りを薄く照らす。そこに佇む二人の青年の姿は、まるで鬼神のようだと思った。
 
 
「戻りました。……って、伊之助寝てんじゃん」
 賭場から戻って、館の離れの部屋に戻った善逸は、開口一番に苦笑した。大きな部屋のど真ん中で、深い藍鼠色の着流しを着た男が、豪快な鼾をかいて爆睡している。寝顔のだらしなさはともかく、瞼を縁取る睫毛は長い。起きていれば誰もが頬を染めて振り向く美丈夫なのだろうが、生憎確認するのは難しい。
「こいつ酒弱いからなー。ああ、ちょっとあんた、手伝ってくれない?」
 こいつ重くてさ、とぼやきながら善逸が両手で上半身を抱える。着流しから覗く胸元の筋肉といい、がっちりした体型の青年を一人で抱えるのは無理があるのだろう。慌てて両脚を抱えて、二人でひいこら運んでいく。
 奥にもう一間ある寝室では、先回りした炭治郎が布団を敷いてくれていた。よっこいせ、と布団に彼を寝かせ、ようやく一息つく。注意深く辺りを伺っていると、
「ああ、先に人払いは済ませといたよ。込み入った話をするんなら、そっちの方がいいだろ?」
 苦笑しながら告げた善逸に、すまんと小さく呟いた。寝ている青年はそのままにして、三人で先ほどの部屋に戻る。
「さて。あんたの目的は、さっき俺が言った推測で合ってる?」
 気を取り直して胡坐をかいた善逸に尋ねられ、こくりと頷いた。
「そうだ。俺はひと月前から、あちこちの賭場でサイコロを振っていた。奴の上に近づく為にな」
「あいつの上の、ってことは、あの賭場の元締めのおっさんはまだ下っ端なの?」
「ああ。俺たちが追っている阿片の元締めは、ここいらの賭場をいくつか持っているそうだ。小悪党を何人か雇って、賭場を仕切らせているって情報だったんでな。それで俺が潜入して、奴に近づくつもりだった」
「なるほど。そこを、俺たちが邪魔した、と」
「構わんさ。奴は俺を囲うつもりでいたようだし、元締めに近寄れなきゃ意味がない」
 それに、と善逸をちらりと見やる。
「どんな手を使っても、賽の目まで言い当てられちゃ、こっちとしてはやってられんよ」
「はは、そいつは悪いことをした」
 悪びれることもなく苦笑されて、思わず笑みを零した。
「おっと。紹介が遅れたな。俺は斎藤という。東京府の警官だ」
 今更ながら名乗ると、しばらく黙っていた炭治郎が、不意に口を開いた。
「では斎藤さん、あなたたちは、鬼のことをどこまで知っていますか?」
「俺は知らんよ。何もな」
 簡潔に答えて、首を横に振った。
「さっきも言ったが、俺は元々阿片の元締めに近づく為に潜入していた。賭場に人じゃない化け物が出たと聞いたのは、今から三週間程前の話だ」
「あんたは、その場にいなかったんだな?」
「ああ、その時は別の賭場で頼まれて、サイコロを振ってた。被害が出た話を聞いたのは、その次の日だったと思う」
 記憶を辿り、語る斎藤になるほどね、と善逸が頷いた。
「奴は、その日によって仕切る賭場を変えたりしているらしい。何とかこちらで仕切る賭場を突き止めて、捜査に踏み切ったんだが、結果ああなった、ってわけだ」
 そう報告を続けると、二人はふむ、と思案のしぐさをした。
「どうする。このまま続けて、賭場を潰して回るか?」
 炭治郎の問いに、善逸が『どうすっかな』とのんびり呟く。傍目から聞けば随分と物騒な内容なのだが、本人たちに至っては日常的な会話をしているようにしか見えないのが恐ろしい。それには敢えて触れずに、斎藤は二人を見やった。
「あんたたちは、そのまま賭場を潰して回っていてくれ。その方が多分奴の耳にも入りやすい。それなりに噂も立つし、あんたたちも動きやすくなるはずだ」
「わかりました。斎藤さんが言うなら」
「ただ、こっちからもその元締めの情報は集める。この館の姐さんがたも、あちこちから宜しくない奴の話は聞いているだろうからね」
 炭治郎が頷いた後、善逸がにやりと笑みを浮かべて言葉を引き継ぐ。
「それなら、この話はもう終わりだな。俺はそろそろ失礼する」
「あれ、飲んでいかないの?」
 せっかくなんだから飲んでいけばいいじゃん、と引き留める善逸に、斎藤は苦笑して断る。
「遠慮しておくよ。俺はどうもこの空気は苦手だし。……何より下戸でな」
 言いながら立ち上がり、障子を開けようとしてから、ふと止めた。
「そうだ。あんたたちには、どう連絡を取ればいい?」
「そうだな……。この館の姐さんたちも、使用人の人でもいい、言付けてくれればいいと思う。ここの人たちは俺たちの素性は知ってるし」
「わかった。それじゃ、次の賭場で、会わないことを祈っておくよ」
 斎藤が障子を開けて部屋を出ようとして、突然『待った』と善逸の声が引き留めた。ついでひゅ、と飛んできたものを片手で受け止める。確認すると、掌に収まるほどの小さな藤色のお守り袋だった。
「それ、持っといて。奴らが嫌う藤の花の香を染み込ませたお守りだ。強い鬼には心もとないが、弱い鬼には覿面に効く」
「わかった。有難く受け取っておく」
 そう言って、斎藤は今度こそ障子を開けて部屋を出た。
 
 
 斎藤と名乗る警官と接触してから、さらに一週間が過ぎた。
 善逸は炭治郎や伊之助と共に館に滞在し、毎夜芸妓や遊女たちと騒がしく遊んで暮らした。その間にも噂は尾ひれをつけて周囲の館にも広まり、曰く『べらぼうに強い博打好きの旦那衆がいる』と館に返ってくる始末だ。その噂を聞きつけたのか、時々素性の宜しくない奴がこちらにやってきては博打の誘いをしてきたが、善逸はその悉くを潰して回した。最初に接触してきた男のようにゴロツキに追いかけられはしたが、そもそも鬼を相手に斬ったはったをしているからか、あっという間に蹴散らしてしまう。
 なお、昼間もあちこちの定食屋や蕎麦屋を転々と周り、情報収集をしているが、そちらはあまり収穫はない。隠の隊士たちにも警察などを通じて情報を集めてもらってはいるが、これといった収穫はなかった。
「本当にこのままでいいのかよ?」
 焦れた伊之助が、昼餉の定食屋でかつ丼を掻っ込みながらぼやいた。横で炭治郎が『食べ物を口に入れたまま喋っちゃダメだろ』と窘めているが、本人はどこ吹く風だ。対する善逸は、やはり親子丼をうまうまと頬張っている。お茶の入った湯呑を手にして一口飲んで、やれやれといった風に苦笑した。
「伊之助の気持ちは分からんでもないけどな。奴さんも慎重なんだろ」
「慎重?」
「ここいらの賭場を潰して回ってるからな。あっちの売り上げは確実に減ってるはずだ。だとしたら、別の方面で金を稼ぐだろう。それこそどこかで薬を売りさばいているかもしれない
 首をかしげる伊之助に、善逸はそう答えた。もちろん、賭場を潰して回ることで元締めを炙り出すには時間もかかる。しかし、阿片のこともある。取引の手段が複数あるのだ。
 今できることを地道にやるしかないのは分かっているが、後手に回るのも悪手になる。
 別の作戦を練るか、と善逸は顎に手をやって今後のことを考え始めた。
「いらっしゃいませー」
 ふと、呑気な女将の声に、剣呑な会話を打ち切って入口の方に顔を向ける。そこには、いかつい顔をした年嵩の男が入ってきていた。館でだいたい爆睡する伊之助はともかく、炭治郎と善逸にはその顔に覚えがある。髪を短く刈り込んだ、一見するとよろしくない出の人間かと警戒するが、綺麗に整えられた警官の制服を着ている大柄の男だった。
「あれ、斎藤さんじゃん」
 呟いた善逸の声に反応したのか、斎藤が片手を上げて応える。
「ここいらで昼飯を食ってるって話を聞いたからな。すぐに見つかって良かった」
 炭治郎の横に陣取ってどっかり胡坐をかくと、すっと声を潜めた。
「奴が動き出したらしい。今日か明日には、あんたらがいる館に行くだろう。準備はしておいてくれ」
 斎藤の報告に、緊張感が走る。硬い表情で炭治郎が頷き、伊之助は『ようやくか』と呟いて獰猛な笑みを浮かべた。そして最後の善逸は。
「はー……とうとう鬼かよ。やだなあもう、賭場潰して回ってる方がずっと楽なのに」
 ため息をついて嘆く声に、斎藤の目が丸くなった。横で炭治郎が困ったような苦笑を浮かべ、そっと彼に耳打ちする。
「気にしないでください。善逸はいつもこんな調子なので」
「そこ! 聞こえてるからね!?」
 びゃっと炭治郎の方を向いて変顔で威嚇する善逸に、斎藤は一人『大丈夫だろうか』と複雑な顔で思案に耽っていた。