いつか混沌の海で
- 後編 -
「私が、私があなたにだまされたりなどしなければっ……」
「ええ、ドラゴンの軍勢は、壊滅したりしなかったでしょうね」
「だまりなさいっ」
涙とともに瞳にうかぶのは、悲しみと後悔。それに、あれは?
「何がそんなに悲しいのです?。ディアナさん」
「自分の愚かさのために、一族を壊滅の危機にさらしたこと…」
彼女は、最後の呪文を唱えはじめた。
―困りましたね。この近さで、あの呪文を受けたりしたら…―
「まさか、信じていたりしたのですか?魔族の僕を……」
一瞬、呪文の詠唱がとまった。
不思議な表情を浮かべて、彼女は僕を見つめる。
―なぜなんだろうか……―
なぜかは分からない。だが、僕はその一瞬の隙に彼女の胸に、錫杖を突き立てた。
「くうっ」
錫杖は心臓を貫き、彼女は地面にくずれおちる。
とどめをさすべく錫杖をにぎりしめ、倒れたディアナを見下ろした僕ははっとした。
―微笑んでいる?―
ひしひしと伝わる悲しみの波。その中には、もう憎しみは、感じられない。その代わりに別の…奇妙な想いが伝わってくる。
―これは?―
いままで出会ったことのない想い…。
いや、これは…僕が形作られ、初めてゼラス様に名前を呼ばれたときに感じたのと似ている。胸の痛くなるようなこの想いは……。
動きを止めた僕に、ディアナは言った。
「どう…して…とどめを…ささないのです」
―どうしてだろう…―
「それ…とも…」
苦しげな息の下、右手をさしのべながら、ディアナは言葉を続ける。
「一緒に…混沌の海へ…と…還えり…ます…か…」
その瞬間、僕の心は決った。
「お断りします」
静かに、冷たく言い放つ。
「僕が共に滅びをと、願うお方はただおひとりのみ」
ぱたり。
さしのべられた右手が、地面に落ちた。
悲しげな笑みをうかべて、ディアナは別れをつげる。
「さよう…なら…。獣神官殿」
―ああ…そうだ。僕は獣王ゼラス=メタリオム様にお仕えすべく生まれた、ただひとりの獣神官ゼロス…―
「さようなら。水竜王の巫女殿」
僕は微笑んで、手にした錫杖にほんの少し魔力をこめる。
そして、水竜王の巫女の体は炎に包まれ、あとかたもなく燃えつきていった。
群狼の島、ゼラス様の元に僕は戻った。
「ただいま戻りました。ゼラス様」
一礼する僕にゼラス様の声がかかる。
「ご苦労…。首尾は」
「以外と簡単でした」
ドラゴンの軍勢の最期を思い出し、僕は微笑んで答えた。
「もう、数えるのもばかばかしいくらいに…」
「そう、か…」
おや、なにかいつものゼラス様とはちがうような…。
「何か、あったのですか?」
僕の問いかけに、ゼラス様は、静かに答えた。
「シャブラニグドゥ様の一部と、ガーヴが倒された…」
「それはっ!」
一体どうやって…。
「また、滅びへの道が遠のくな……」
長い髪をかきあげ、遠い目をしてつぶやくゼラス様。
ずきんっ。
まただ。胸の奥がいたむようなこの想いは一体…。
「どうした。ゼロス」
「いえ、なんでもありません」
ゼラス様は、笑ってごまかそうとした僕の肩を、つかんでひきよせた。
「つっっ」
「やられたのか…」
「はあ、少し油断しちゃいました」
ゼラス様は僕のあごに指をかけて軽くもちあげた。
「めずらしいな、お前が不覚をとるとは…。何があった」
―何だったのだろう…。あの想いは…―
「よく、わかりません」
―あなたは、ご存じなのでしょう?…―
「そうか…」
それ以上は聞かずに、ゼラス様は僕の肩に手をあて、魔力を注ぎ込んだ。
失われた力が満たされ、僕の体は再び形をとりもどす。
―ああ、こうやって僕は生まれたのだ。この方のために…―
魔力とともに、つたわってくる想い。
滅びへの渇望。混沌への憧憬。そして…。
―ゼロス…私のただひとりの獣神官…―
じっと見つめる僕に、ゼラス様は静かに笑いかける。
「どうした。そんな顔をして」
「いいえ…」
僕も小さく笑いかえす。
「さあ、お前にはもうひと働きしてもらうぞ。フィブリゾやグラウシェラー、ダルフィンにも呼びかけて、カタート山脈を守らねばならん」
「はい、ゼラス様」
「まずガーヴの配下がどのぐらい残っているのか、確認してくれ。そして不審な様子をみせたら…潰せ」
「御意のままに…」
なぜか、などと馬鹿な問いかけはしなかった。
わけなどいらない。僕の存在理由は、あなたのためにあるのだから…。
「たのむぞ」
「おまかせください。では、いってまいります」
僕は、ゼラス様に一礼して精神世界へ跳んだ。
幾千、幾万の命を奪い、憎悪と恐怖を一身に受けて、僕はこれからも、あなたのそばに在りつづけるだろう。
あなたとともに滅びの道を歩み、いつか混沌の海で一つになることを夢見ながら………。