2. しやそれとも

 

by M

 
 
その日、取り立てて何か思う所があった。などと言うわけでもなく。
どちらかと言えば、単なる偶然が重なったと言えるのではあるが……。
細かい事は、さて置き。

「面倒ではないのか? こう言う点からすれば尊敬に値するとは思うぞ、主」
「うわぁっ!」

ぴょん、と跳ね上がった。
まさしく、座り込んでいた所から数センチは確実に尻が持ち上がっていた。声を掛けた方が驚くと言える程、まさしく「漫画の様な驚き方」をする。

「なにごつっ?」

人、非ざるモノが集う場所。
それを、建物と土地を含めた特定の空間を『本丸』と呼ばれている。
例え、彼ら本丸に集う大多数のモノ達が、世間的には「人の形を模したモノ」を世間一般では化物とも妖怪とも、神と呼ばれたとしても。

「な、なんだ……おじいちゃんか……驚いた……」

主と呼ばれた御仁は、この摩訶不思議空間『本丸』の主人は、この本丸内に限り、不可能は「あまり無い」のだと言っていた事さえあるので「驚いた」のも今ひとつ信用がない。

「はっはっは、それは悪い事をしたな?」
「そんな顔で言われても、誠意と言うものを欠片も感じないのは何故だろう……?」
「さて? 顔の造形造作については、俺達が定めた訳ではないのだがな?」

と言うより、無駄に美しい造形だと言っていたのは……果たして、誰だったのだろうか?

「そんな事より、おじいちゃん?
こんな所で何を? 今日は内当番とか入っていない筈だよね?」

おじいちゃん……世に名高い天下五剣と言われる、現存認可されている中で最古参と言われる日本刀、三日月宗近。
歴史の中に置いて、天下の流れを表立って見て来た。自他共に認める、各所の本丸でも中枢に位置する一際目を引く一振りである。

しかして、いかに長い時の流れを歩んできた名刀と言えど。
今は、ほっかむりと作務衣と言った農作業スタイルだ。良い言い方をすればクラシカル、かつコミカルな筈の姿であると言うのに、誰かの言った「これがイケメン補正か…」と言う台詞からも判る様に、一周回って人目を引く。

「ああ……先程、少々襲われて剥かれてしまってな。
せっかくだ、一足先に風呂に入って来た所だ」
「お世話される系は流石……昼間っから優雅な事だねえ……」

呑気で何を考えているか判らない事もあるが、世話をされると言う事に慣れている存在なのは確かだ。呼び捨てにするのも恐れ多いと言わんばかりに慕われているのも事実だろうが、同じ程度に距離を置かれていると言う事もある。
まあ、食って掛かる様な存在は希少性が高いと言う見方も、無くはない。

「優雅などと、その様な事はないと思うぞ?
今が、いかな刻限だと思っている?」
「え、何時って……おやあ?」

三日月宗近に言われ、審神者は己の懐から薄い四角い箱―――札程度の大きさしかないが、時の政府より支給されたと申し出て。その後に、この本丸へ居ついたモノ……宴会組曰く「色違い」だの「2Pキャラ」だのと噂しているのは、本人に「は」内緒の話だ。ただし、「もう一人の色違い」は耳に入れた途端に何とも言えない顔をしていたりもするが……あれは、もう『そう言う性質』なのだと言う事で、彼の「兄弟」からのリークにより微笑ましく見つめられている。知れば、更にややこしい事になるだろうと思われるので沈黙は金だ。
そんな薄型の「箱」を見た主人……審神者は、「げ」と言う顔をするが、そこは自業自得と言う事で諦めて貰うより他ない。

「困ったなあ……今日の予定が欠片程度しか消化出来ていない……」

ため息を含めた声を吐き出しながら、やれやれと言った様子で肩をすくめる仕草をするけれど。そこは、先日までの悲観的な要素はあまりない。ゼロではなさそうだが。

「今日も、何かと戦っていたのか? 主?」
「先日の確定申告では、大変お騒がせ致しました!」

きっちり90度の角度で頭を下げ、内心では平伏したい気持ちもあるのだろうが―――本丸の主たるもの、頭を下げるだけでも問題だと言うのに床に頭を付けるなど云念と、口やかま……懇切丁寧に説得をしてくる存在があるだけに、かろうじて留まったと言う所なのだろう。

ちなみに、先日の確定申告と言うのは。
少し前の事だが、各本丸の主たる審神者が時の政府により年間の収支報告的な事を命じられたからである……本丸を一つの会社として、審神者を社長と言う扱いにし、彼等刀剣男子を社員とする事で無理難題ではあるが、書類仕事を命じられたと言う事である。

心身的な問題で、審神者として著しく能力の低さ問題点があると認められれば、あるいは少し前に別件で派遣された山姥切長義の様なサポート要員が追加派遣される事もあるのだろうが……結果、色違いやら2Pカラーが増殖しても、誰が喜ぶのか不明だと誰かは言った。

書類仕事は全て提出してあるのに、これから出て行く税金が憎い……政府からの依頼だって言うのに! 請け負う仕事の範疇だと言うのに、結果としてプラスマイナスでゼロどこ ろかマイナス計上だなんて、やってられない!

そう、怒鳴りつけていたのは、然程昔の話ではない。

「山姥切……まんば、ちゃん? が、不器用に慰めて来る横で、ちょぎたんが能面みたいな顔して突っ立ってるの知ってたら、もっと派手にやったんだけど……次回に期待しよう」

ちなみに、その時の三日月宗近は笑って見ていただけである。
おろおろとする周辺に比べると、腹が黒いと言われる所以ではあるが……普通の神経ならば、ここは慰めるか宥めるか、性格の悪さを指摘したかも知れない。
結果として、締め切りに追われ爆発した審神者をまっすぐに慰めた山姥切国広と言うのは、他のモノから見ても大変珍しい状況だったのだろう。

「礼の代わりに、時間に余裕があるわけでもない主が。岩融の長話に興じていたと?」
「堀川の兄弟たちは、情に厚いからね!」

とは言っても、今がそのタイミングではないと言う一振りも。

「寂しいかい、おじいちゃん?」

何を、と審神者は口にしなかった。
何が、と三日月宗近は口にしなかった。
忘れてしまう事を悲しいと、寂しいと口にする刀剣男子がいる。
失ったものを、辛いと苦しいと口にする、胸に秘めたモノ達がある。
それを、甘えだと断じるモノがあれば、仕方がないと諦めるモノもある。

「ん? ……はは、さてな?
長い時にあるからこそ、その様なものもある。と言う、程度にはなるかな?」
「それが、すでに答えじゃないか」

呆れたと言わんばかりの態度を審神者は取るが、さりとて理解はしているのだ。お互い。
今、ここで仮に三日月宗近が何を口にしたとしても。しなかったとしても。
ソレは、少なくとも今ではない。

故に、三日月宗近に取れる態度は常と同じだ。
決して変わらぬ、相も変わらずと言った―――一部のモノを苛立たせる、飄々とした態度だ。

「正直な話をすると、持てる技術を使ってもおじいちゃんを。太刀を、今以上鍛える事が出来ない。これから先はともかくとして、少なくとも。今は。
それは、こちらの力が、技術が、審神者としての能力も西暦2205年の科学力でも太刀打ち出来ないのだと思う。きっと「何か」ではなく、「沢山の何か」が全く足りてないんだろう。
本当に、申し訳ないと思ってる」
「主?」

先程下げた頭は、もう上がっている。
けれど、視線は向けられていない。
恐らくは、最初から口にするつもりだったのだろう……岩融と直前で長話をしていたのは、計算通りなのか否かは不明だが。

「準備は出来ているのに……」

すでに、一部の新参を除けば短刀、脇差、打刀、大太刀、槍、薙刀でさえ顕現当初より更なる高みを目指し、一皮むけていると言うのに。
一度本丸を出て旅路の果てに新たな道を見いだし、あるいは認め、今や長期化する戦いでの主戦力を目指して日夜研鑽している。
無論、中には言葉にする事が出来ずに気持ちを整理し続け無ければならないモノとてあるだろう。だが、心が、思いが、意思がある刀剣男子達が持ち続けると、自ら定めたのであれば。

「山姥切長義は、初期よりうちの本丸で『山姥切』として確立している『山姥切』ではない。
己の道が開かれる事もなく、決して開かぬわけではない『かも知れない』と言う事も。これまでの政府とのパイプで問い合わせている事も、だからこそ時の政府より派遣されて居ついたと言う立場である事も踏まえて。
何より、この本丸では『山姥切』として『認識』されていない。認識されているのが、真打と史実で語り継がれている本科である自分ではなく。偽者として扱っている「写し」であるまんばちゃんである事に、視野が狭くなっている事も判りやすいとは思うんだ」

写しと偽物は違うし物語には齟齬があるのにね、と言う審神者の言葉に。一体何が言いたいのかと、三日月宗近は視線だけで話の続きを促す。

「おじいちゃんは。と言うより、太刀勢で同様の話が起きていると言う意見が、審神者の間で出始めている。うちの本丸は表立ってはないが、騒ぎになっていないと言う事は問題になっていないと言うわけでもない」

縁側に座り……いつか、どこかで見た事がある様な気がする。視線は、いつぞやと同じ様に、遥か向こう側を見ている。

「個人的には、本人が気づいているかどうかはさて置き。ちょぎたんは偶然にも写しと言う名の兄弟が行き先に居て。他の兄弟達と和気あいあいとしていて。勝手に突っかかるから、もう自動的に注目の的だと言うのに、堀川の兄弟達にも馴染めないくらいに孤立している。
当のまんばちゃんだって、旅に出る前にはライナスの毛布よろしく根暗街道突っ走っていたのに、帰ってきたら何かを悟って布をかなぐり捨て開き直り……しかも、が変わるきっかけに自分が絡んでいない事を腹を立て、何かしても何もしなくても癪に障ると言う迷惑仕様」

困ったものだと、指を折り曲げ一つずつ数えるとげんなりとしてしまう表情に、言いたい事は何となく察せられた様だ。

「それが……俺にも、俺達にもある。と?」
「まあ、事がそう単純な事であれば、話は早かったのかも知れないけど……」

繋げる事が出来れば、繋がる事があるのならば。
とても、物事とは理解が早いものなのだから、素早く進める事が出来るのだから。しかし、審神者の声色には複雑なものがある……つまりは、その様な単純な意味合いでは、ない?

「君達刀剣男子は、それこそ数百年単位の規模で存在している。一日一日、一瞬一瞬の積み重ねではあるが、同時に一瞬前であろうと数十年単位であろうと過去は一律で過去と分類される。
復刻されたり、写しでもない限り、名のある刀剣と言われるのは、数年どころか数十年程度では話にならない事も珍しくない。
特に、戦国時代以降は刀狩りが始まり、近代兵器が台頭してからは形を変えない限り戦場に出る事も無くなった……銃剣については難しいかな、切っ先だけを日本刀とは言わないし。
つまり」
「つまり?」
「スパンが長いんだよ、無自覚なの!」

口にしてしまってから、審神者は僅かに間がある。内心で思う。
直接、言い過ぎてしまったのではないか? こんな事は、早かったのではないのか?
もっと、上手に相手の懐に入り込むような、そんな言い方は出来なかったのだろうか?
だが『許さん』とは思うが。

「すぱんとは……なんだ、主?」
「そっちかよ!」

気分的には、とてもとてもちゃぶ台をひっくり返したい気持ちになっていた。が、衝動に駆られた審神者の気遣いガン無視と言うか、そう言えばこう言う奴だった様な気がすると言うか……まあ、気遣いをしているなどと言うのは双方で理解されない限り永遠の平行線なわけだが。

「判りやすく言えば、期間だね。
数百年単位で認識するのもあれば、農業の様に基本は1年と言う速度もあれば。蜻蛉の営みの様に、数時間単位で生涯を終えると言うのも、ある。月下美人みたいに。
いかに太刀勢の機動力が控えめでも、もう少し主義主張はあっても良いんじゃないかって思う……勿論、世の中には可能不可能もあるし、時の政府の許可が必要もあるだろうさ。
でも、ね? おじいちゃん?」

考えながら口にしているのか―――少なくとも、台詞を頭に入れて置いたと言う感じではない。審神者は、額に手を当てて沈痛な面持ちで天を仰ぐ。

「他のモノ達に同情ではなく『きっと最後だろう』と言う、諦めにも似た期待を受けたからと言って、八つ当たるなら外でやってくれないかなあ!
精神的な所で済んでいるとは言っても、身内を霜柱よろしくばきばき叩き折るんじゃあないよ! それとも何っ? 太刀勢限定部隊か単騎決戦でも出せば気が済むのっ!」

簡単にまとめれば、こうだ。
直前に話していた岩融もそうだが、気付き始めている者達がいる。審神者同士の話ではなく、当事者である刀剣男子達ですら見逃せない状況になり始めている……。
現在、一部を除けば顕現当初に比べ通称・極状態になる事が出来ないのは太刀勢のみ。剣である白山吉光は、単体で比較対象が不存在と言う異例中の異例として除外しても良いだろう。

「まあ、確かに? 打刀の個性と言うか灰汁が強いと言うか、拳で握って鳩尾狙う系が揃っていると言う感じがするけど。大抵何かやらかしている気もするし……ツッコミどころが追いつかない……あれ? 良いのか? だから静か なのか、あいつら?」

主な被害者が打刀に集中しているあたり、他のモノ達は思う所がありながらも安堵していると言っても良いだろう。眼中に入っていない、などと言ってはいけない。
ちなみに、一部保護者がほっと胸を撫で下していたのは、太刀の中では一期一振くらいだし、外側の大人視点で見ていたのは、小烏丸と薬研藤四郎くらいだったりした。

「ちょぎたんの八つ当たりは、判っていれば他人事的に可愛げはあると思うけど……特に、おじいちゃんは判っててやってる所があって酷くない? 手抜きをしろとは言わないよ、効率を考えれば、そ う言った方法だってナシではないからね?
でも、食事の集合合図で『本丸全域』に殺気を飛ばすのはヤメロ」
「おや……じじいらしく、体力温存に努めているだけなのだがなあ?」

にやりと笑みを浮かべているだろう事が想像出来たので、審神者は苦虫を噛み潰したかの様な表情を浮かべる。三日月宗近からの視線は思い切り感じるが、いちいち反応はしない。
時折あるのだが、一番最初に朝食時に行われた時には『本丸』の全域が厳戒態勢に入ってしまったくらいだ。どれくらいかと言えば、屋敷の庭で飼われている鶏が、恐怖心から一週間は卵を産まなくなり獣たちが山野で姿を潜め、海ではさざ波すらろくに立たなくなったくらいである……卵なしのわびしい食事の後で、ようやく生み始めた卵料理の腕が落ちたと当番が嘆いていたのは、何も遠い昔の話ではない。

「うわ、言ってるし……」
「何、これで短刀あたりが怯えて使い物にならないとでも言うのであれば、このじじい自らが『指導』するのも吝かではないと思うが、彼等も見てくれはともかく、中身は同じ刀剣男子……恐怖心を感じる事はあろうと、それで己の役割を放棄する事などないと言うもの」

厳戒態勢に入って数時間、本丸の中心地たるこの館の集合体では手入れ部屋に入っているモノや遠征先のモノ達ですら戦場へ舞い戻ろうとして手間がかかった。疲れた。
正直、そんな事はそうそう起きて欲しいものではない……夜討ち朝駆けで起きないだけマシではあるし、三日月宗近の言い訳めいた主張―――仮に『本丸』に不具合が生じた時に即時動ける様に、じじいの殺気一つで身動きが取れないなど不甲斐ないではないか。

「……仕方がない、それならば天下五剣が一振り三日月宗近に命じる。
明日の内番は、山姥切長義と手合わせを命じる。見届け人は交代制、乱入可。それくらい出来るでしょう……せいぜい、全力で吹っ飛ばすがいいさ」

知っている筈なのだ、だが自らが高い能力を持ち得ていると自覚していない相手は面倒だ。
何故なら、時に安直な応えを持ってくるのだから。

「ならば、見届け人は山姥切国広一人で十分ではないか?」
「道場諸共吹っ飛ばすつもりなわけっ?
……もういい、山伏国広! 堀川の兄弟総出で今からおじいちゃんと遊んできて!」

何がどうしたと言うのか、どう言った理論で、そんな事を口にしたと言うのか……。
もしくは、面倒になったのだろうか?
審神者の言葉に「かっかっか!」と、内番着を身に着けた山伏国広がどこからともなく現れ―――近くに控えていたのは知っていたので、まあ声を上げれば出て来るかも知れないとは思っていたものの。本当に出て来ると、流石の審神者も少し驚く。とは言え、猫の子よろしく三日月宗近の襟首をむんずと掴んで、風のように立ち去る姿を見てしまうと、流石に覗き疑惑も考慮するべきだろうかと言う気はする。

「つ……疲れた……」

がくりと膝をついた審神者は、その後で顔を合わせた薬研藤四郎が「大将……」と色々と言いたい事を抑える表情で差し出して来た薬湯を、徐に煽った。
甘苦くて、思い切り吹いた。

なお、翌夕刻―――およそ丸一日後に解放された筈の三日月宗近と言えば。

「まあまあだった、またやろう……どうせなら、全員でまとめてかかって来ても良かったのだぞ?
じじいを相手にするからと、気を遣う事もないだろうに」

と、堀川の系譜兄弟達に言ったそうだが。言われた堀川の兄弟達は、その後で等しく7日程寝込んでいたと言う。

「何しろ、主に『吹っ飛ばして来い』などと期待された以上は。その命に応えるのが刀剣男子としての役割であろう」

などと清々しく三日月宗近は語り、しばし本丸内に言いようのない空気が漂った。
ついでに言えば、一部からは子犬の鳴き声呼ばわりされている山姥切長義が三日月宗近の姿を見ると、全力疾走すると言う怪現象が本丸内の各地で見受けられ、審神者がため息を着く事もあったという。