世界の果て

 

by M

 
- 前編 -
 
 
 何も覚えていなかった。
 ただ、そこにいる。それだけだった。
 いつまでも、もしかしたら。いつまででも、そこにいたのかも知れない。
 もちろん、そんな筈はないけど。
 つぶやいてみるが、あまりにも意味のない。馬鹿馬鹿しいものだった。
「どうしたの? 千恵」
「なんでもないの。リナさん」
 千恵。と呼ばれた女性は、微苦笑をもらしながら応える。
 リナと呼ばれた少女は、特に気にもせずに食事に戻る。
 ……まあ、千恵に言わせれば「戦争」か「喧嘩」にしか見えないものであったが。
「何か思い出せたのか?」
「ううん、そう言うわけでもないのよ」
 困ったように笑いながら、長い金の髪の男性にも応える。
 ちなみに、リナの食事相手である。
「ただ……」
 ただ、とは言うけれど。別に、千恵とて何か意味があって漏らした訳ではない。
「二人とも、よく食べるなあと思って」
 本音を言えば、よく戦いながら食べられるなあと言うのもあったが。とりあえず、千恵はそのコメントに関しては口にしなかった。
「何言ってるのよ、千恵。
 人間、体が資本なんだよ? ちゃんと食べないと!」
 言いつつ、リナはガウリイの皿からお肉をもぎ取る。
「ああ、リナ! それは俺のだぁっ!!」
 言い返しながら、ガウリイがリナの魚を奪う。
「ちょっとアンタ! それはあたしのじゃない!!」
 まともな話になったかと思ったが、すぐに喧嘩が始まってしまう……。
 ここ何度か一緒に食事をして、そう結論が出るのは早かった。
「言って置くけど、ガウリイとの食事なんて可愛いもんよ。
 昔、一緒に旅をしていた魔道士とは。食事の度に呪文が飛び交ったものだもの!」
 特徴的なのは、こちらがまともな話をあきらめた頃になって。いきなり話を元に戻したりするクセがある所だろう。
「呪文……ね」
 千恵がどこから来たのか、それは判らない。
 だが、リナは早々と一つの結論を出していた。
 おそらく、千恵はこの世界の人間ではないだろうと言う事。
 なぜ。どうやってこの世界に現れたのか、何かの事故か目的があるのかは判らない。
 記憶が失われている事が、おそらく事故に巻き込まれたと言う事なのだろうとも。
「よく無事だったよなあ……」
 しみじみと語るガウリイの横で、リナは元気に食事を続ける。
 なぜ、千恵がこの世界の人間ではないだろう事が判ったかと言えば。千恵が魔法を知らなかったからである。
 知らないと言うのは、もしかしたら間違いかも知れない。理論と言うか、知識。情報と言った形では知っていたのだから。
 しかし、魔法を見たのは初めてだったらしい。
 極度の拒否反応が出てしまい。「敵ではない」とリナとガウリイが千恵に認識させる為には、丸々二日ほどかかった。
「ふふん。そんな簡単にやられていたら、人間なんて生きていけないわ。
 人生は戦いだもの」
 節までつけて楽しそうに、それでも。瞳は料理から離れない。
 こんな風景を、千恵は溜め息をつきながら見つめていた。



◆ ------ ◆



 月の綺麗な夜である。
「千恵のいた世界の月って、どんな感じなのかしらね?」
 わざと飛沫をあげながら、リナが訪ねてきた。
「と言っても、覚えていない……か」
 こちらを見上げ、千恵を見つめる。
 千恵と言えば、恐る恐るお湯に足をつけようとしていた。
 そう、ここは宿の露天風呂である。
「うーん……もっと、小さかった様な気がするわ。それで、もう少し赤くて黄色かった様な気がする。
 あ、でもそんな気がするだけよ!」
 慌てて言う千恵から視線をはずし、リナは一人の世界に没頭したように見えた。
「これから、どうするつもりなの?」
 何か、考えをまとめているのだろう。
 口調も感じも、かなり真剣な様子である。
「どうしたらいいのか……正直、判らないわ。
 リナさん達に見つけてもらわなかったら、本当に。私は今頃、どうなっていた事か……」
「千恵にその気があるなら、大きな街まで連れていってあげるわ。
 かなり地位の高い知り合いがいるから、彼女に頼めば。千恵一人くらいならば食べていく仕事の紹介とかしてくれるでしょうね」
 千恵は、何も覚えていなかった。
 数日前に、今泊まっている宿屋から半日くらいの山の中から。いきなり現れたのだ。
 そう。それは、いきなりだった。
「でも……」



◆ ------ ◆



 旅をしていたリナとガウリイは、暗くなり始めた山中を歩き。次の街を急ぎ目指していた。
 そんな時、真昼のような閃光が現れた。
 まるで、光の剣が放たれた様な勢いだった事も手伝って。リナとガウリイがそこまでたどり着くと。
 どう見ても、「たった今」崩壊したらしい。小山と言うか、瓦礫の山があった。
 その中で、彼女は。千恵は一人、立ちつくしていた。
 煙が立ち昇り、人為的に破壊された山の影と。そこからのぞく月とが。
 うなだれる、女性を照らしている。
 一枚の絵画の様に。
「あ、あんた……一体?」
 一瞬、リナとガウリイの間に緊張感が走った。
 見たこともない服装をした、おそらく女性。
 彼女が起こしたかは判らないが、破壊の跡で。
 そこで、ゆっくりと。
 女性はこちらを。
 見た。
「リナ!?」
 駆け出したリナを、ガウリイは止める事が出来なかった。

 どさっ!!

 崩れ落ちる音がした。
「セーフ……」
 息を吐く声とともに、リナが笑っていた。
 リナは、倒れた女性の下敷きになっていたのだ。
 ガウリイの止める間もない、まさに早業だった。
「大丈夫か? 無茶するなよ」
 呆れた声のガウリイに、リナは笑顔で答えた。
 ガウリイが女性を持ち上げても、女性はぴくりとも動く気配はなかった。それに続いてリナも立ち上がり。彼女のほほをぴたぴたとたたいてもみたが、まったく気付く気配はなかった。
 それが、千恵だった。



◆ ------ ◆



 『千恵』と言う名は、唯一彼女が覚えていた事だった。
 見たこともない文字で描かれた言葉は、リナの好奇心をくすぐったのだが。本人が記憶喪失だと言う事が判ると、明らかにがっかりした様子だった。
 千恵の来ていた衣装は変わっており、山の中を歩くには不向きな靴とスカート。
 飾り気はないけれど、白いシャツ。そして、ドレッシーな懐中型の腕時計をしていた。
 来ていた服や持ち物から、身元が明らかになるかも知れないとリナは頑張ったみたいだが。結局は、彼女が「どうやらこの世界の人間ではないのかも知れない」と言う事くらいしか判らなかった。
 そして、それを決定づけた「魔法」
「ねえ。それって、千恵の国のものなの?」
 岩風呂の縁に座り、リナが月を見上げながら問いかけた。
「え? なにが?」
「だから、その歌よ」
 きょとんとした顔で、リナが訪ねた。けれど、千恵もまた同じ表情をしていた。
「歌……?」
「なに、無意識に歌っていたの?」
「えーと……そうなのかしら?」
 びっくりした様な、どうしたものかと言う顔で。リナが困っていた。
「ごめんなさい」
 千恵もまた、困った顔をしていた。
 当然だろう。何がきっかけで、戻るのかも判らない記憶を探す。手伝いをしてくれているのだから。
「え、いいのよ。だって、別に千恵が悪いわけじゃないし……。
 でも、一曲くらい何か歌ってよ」
 少し考え込んで、千恵は口を開いた。

 長い時を旅して 一つを目指して来たけど
 時に忘れそうになる 何を求めていたのか
 安らぎをくれた思い出を 胸に抱く哀しさを
 あなたが知る日は 来るのだろうか?
 愛しさと切なさが 憎しみと怒りとが
 どれだけ違いを持つのだろう
 誰を捜してきたのかも 判らないまま行くのを
 ただ……

「すごい……うまいじゃない。歌手でもやっていたんじゃない?」
 拍手の音とともに、千恵は自分が歌っていたのだと知る。
 夕食に立ち寄った酒場で、竪琴に合わせて歌っていた女性の姿を思い出していた。そこから、歌を思い出したのだろうが。
 千恵の記憶の中で、その風景はモノクロだったから。
「そう……なの?」
 雲を掴むような、手応えのない感触だけが残る。
「そうよ。絶対そう!
 千恵、歌い手だけで食べていけるわよ!」
 興奮した様子のリナを見て、千恵はほほえましく思うけれど。
 実感がつかめない状態で。何をどう答えれば良いのか判らない。
「そ……か」
 ちゃぷんと顔までお湯に浸かり、千恵は赤くなった顔をお湯のせいにしようとする。
 実際、お湯でずいぶんとゆだってはいたのだが。それでも。

 リナの支度する姿を見て、千恵は首をひねった。
「どこに行くの、リナさん」
 お風呂から上がって、ガウリイと少し翌日の打ち合わせをして。
 そして、さて寝るかと言う段になり。
「ふっふっふ……盗賊い・じ・め(はあと)」
「はぁっ!?」
 完全装備をしたリナを見て、疑問に思って。
 訪ねて帰ってきた答えが。節もついてハートマークまでついた「盗賊いじめ」だと言われたら。
 普通は驚くものだろう。
「盗賊いじめって……」
「それがなんなのかって言う質問なら、答えてあげてもいいけど?」
「いや、言葉の意味は判るような気がしないでもないんだけど……」
 そこで、千恵は考え込んだ。
 何にしても、ショックのあまり何を聴きたかったのか忘れてしまったくらいである。
「で?」
「えーっと……」
 千恵の頭の中は、激しく回転していた。
 それはそれは、大変なものではあったのだが。
 気が付けば、結局何も考えていなかったと言う現実があったりする。
「私も行っていい?」
 出てきた言葉は、誰も予期していないものだった。
「私もって……盗賊いじめよ? 危険なのよ?」
 リナがいぶかるのも当然である。盗賊いじめと言う行為は、並の実力では三日ともたない。それこそ、超一流の腕とセンスが要求されるのだ。
 剣士としては、まあ一流ではあるが。それ以上の魔法の腕を持つリナだからこそ。盗賊を襲っても平気でいられるのである。
「私をみつけたの、夜だったんでしょう? だったら、その方が何か思い出せるかも知れないじゃない」
 千恵の言っている事は、間違ってはいない。確かに、発見された状況と言うのが一番良いのかも知れない。記憶を取り戻すには。
「判ったわ。じゃあ、あたしから離れないで。
 それだけ守ってくれるなら、一緒に着いてきてもいいから」