哀しい獣の瞳

 

by wwr

 
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翌朝、ゼルガディスが食堂に行くとクローヴの姿はなく、いつものメイドだけがゼルガディスを迎えた。
「おはようございます、ゼルガディス様。旦那様は本日ご用でお出かけでございます。研究室もどうぞご自由にお使いください、とのことでした」
「そうか…」
ゼルガディスはカップに香茶を注ぐメイドの横顔を見た。
まだ若い、ゼルガディスより2、3才年下だろうか。濃い茶色の髪をみつ編みに結ってぐるりと巻いた頭には、ちょこんと白いレースのキャップをのせている。大きな丸い瞳は、髪と同じ濃い茶色。少し日にやけた肌にちらばるそばかすが可愛らしい。
「おまえは、この屋敷に勤めて長いのか?」
「いえ、まだ半年ほどです」
「少し教えて欲しいんだが、クローヴというのはどういう人間なんだ?」
「どうって……立派な方です」
メイドの少女は、少し戸惑ってから話しだした。どうやら領主のクローヴは、すこぷる評判がいいらしい。
『ご領主様にお願いすれば、なんでも聞き届けてくださる』
というのが、この辺りの住民の口癖だという。そして『さすが、あのレゾ様のご子息だ』の一言が、かならず付けくわえられるのも。
「ほんとうに、お優しい方なんです。私がお願いしたときも、すぐに聞いてくださって…」
心からそう思っているのだろう。少女の言葉に、偽りは感じられなかった、が。
「キャラウェイ、という娘は?」
ゼルガディスの問いに、少女の顔が急にくもる。
「お嬢様のお世話は……私たちには…」
「リフラフ、か?」
「っ……」
おびえたように言葉を詰まらせた少女の表情に、ゼルガディスはそれ以上聞くのはやめた。香茶のカップをおいて立ち上がる。
「あのっ、どちらへ?」
「そのへんを歩くだけだ」
少女の名をまだ聞いていなかったことにゼルガディスが気づいたのは、館を出てしばらくしてからのことだった。
館からほどちかいクローヴの治める村の一つを、ゼルガディスは訪れた。畑には作物が豊かに実り、行き交う人々は、みな豊かとはいえないが、こざっぱりとした服を着て、明るい表情をしている。村の中を歩いてみても、ゼルガディスが館の客だということが知らされているのだろう、奇異の目を向けるものはなく、むしろ丁寧にあいさつをしたり、笑いかけてくるものさえいる。
ゼルガディスは一休みするのと情報を集めるために、一軒の食堂に入った。
「ご領主様?立派な方だよ。ほら、こいつもご領主様にいただいたんだ」
そう言って食堂のおやじは、羽根と角のある白いネコの頭をなでた。ネコはごろごろと喉をならし、頭をおやじの手にすりつけてくる。
「こいつのおかげで、ネズミどももいなくなったしなぁ」
「ほんと、あんな偉い方いるもんじゃないわ。さすが赤法師様のご子息ね」
「そうそう。俺のとこの牛の病気も治してくださったしな」
食堂にいた村人は、口々にクローヴをほめちぎる。
「娘が一人いると聞いたが…」
「んー、いらっしゃるとは聞いているが、お体が弱いってんで、おれたちの前には、お出にはならんしなぁ…」
「お気の毒に、お嬢様が生まれてすぐに奥様が亡くなられたんですってよ」
「ワシは一度だけ見たことがあるぞ」
そう言ったのは、一人の老人だった。
「もう10年ぐらい前に見ただけじゃが、奥様にそっくりの、そりゃ奇麗なお嬢さんじゃった。銀色の髪にすみれ色の目で…」
「?」
なにか引っかかるものを感じて、ゼルガディスは老人に尋ねた。
「死んだ妻というのは、何歳だったんだ?」
「たしかクローヴ様より3つ下の17才だったと思うが」
「それで、死んだのは何年前だ?」
「もう30年以上になるかのぉ……お気の毒に、ご結婚されてまだ2年にもならんころじゃった」
―妙だな……―
昨日ゼルガディスが見た少女は、どう見ても16、7ぐらいだった。
―まあ女の年は見た目では分からんか―
大したことも分からないまま、ゼルガディスは食堂を出た。そろそろ館に戻ろうかと思いかけたとき、ゼルガディスを呼びとめる声がした。
「おい…ちょっと、そこの人」
ゼルガディスが声のする方を見ると、物蔭から一人の青年が手招きしている。
「俺のことか」
ゼルガディスがつかつかと歩み寄ると、青年はあたりをうかがうようにして話しかけてきた。
「あんただろ、ご領主様のお客って」
「そうだが」
「なら、アニスって娘をしらないか?お屋敷で働いてるんだ」
「アニス?」
「ああ、茶色の髪で、そばかすがあって、可愛い娘なんだ」
―あのメイドか―
思い当たって、ゼルガディスはうなづいた。
「知っている。今朝も話したばかりだ」
「本当かっ!じゃあまだ生きているんだな?」
「どういうことだ」
ゼルガディスの問いに、青年はせきを切ったように話しはじめた。
「おかしいんだよ、ご領主様は。おれ、グエンって言うんだが…」
この青年グエンは、この村の出身だが数年前から、少しはなれた街にでて働いていたのだという。ある日、ささいなことから仕事仲間と口論になり、相手を傷付けてしまった。悪いことに相手の親戚に、街の有力者がいたせいでろくに取り調べも無いまま牢につながれ、明日にも死刑になるかというところだった。
それが突然釈放されたのだ。訳を聞いても役人たちは答えず、ただ「クローヴ様に感謝するんだな」とだけ言った。やがて村に帰ったグエンは、恋人のアニスがクローヴの屋敷に勤め出したという話を聞いて、会いに行ったのだが、門前払いを食らわされるばかり。そしてグエンは、さまざまな噂を聞くようになったのだ。
「ご領主様は、なんでも望みを聞いてくれる。だけど、タダじゃないんだ…」
家畜の病気を治してもらった者は、同じ数だけの家畜を差し出すように言われた。羽根のあるネコをもらった者は、長年飼っていた愛犬を手放すように言われた。
「代償を要求するのは、別におかしくはないだろう」
「それだけじゃないんだよ」
病気で死にかけていた子供を救ってもらった家では、その子供の母親がいなくなったという。大怪我をした父親を治してもらった家では、息子が姿を消したというのだ。
そして行方が知れなくなった人々は、二度と戻ってこないし、村人たちがその事を口にすることもない。
「アニスは、きっとおれのことを、ご領主様に頼んだんだ」
「お前の考えすぎではないのか?」
ゼルガディスは今朝話したアニスの事を思い出してみた、が、別にひどい目にあっているというようには見えなかった。
「なぁ、頼むよ。この手紙をアニスに渡してくれないか」
「いいだろう」
ゼルガディスは差し出されたグェンの手紙を受け取った。
館に戻ったゼルガディスは、自分の泊まっている部屋でアニスに手紙を渡すことにした。リフラフなどに見つかってはアニスにまずいことになるだろうし、これを機会に、いろいろ聞き出せるかもしれない。
「やだ、グェンがそんなことを?」
ゼルガディスの部屋に呼ばれたアニスは、頬を染めながら手紙を受け取った。よほど嬉しかったのだろう、今朝よりずっと打ち解けた様子だ。
無邪気に喜ぶ姿が、ゼルガディスにだれかを思い出させる。
「グェンが会いに来ていることは、知らなかったのか?」
「ええ…誰も教えてくれなかったし…」
「そうか…。で、やはりグェンのことをクローヴに?」
「はい…」
グェンが牢につながれたことを知ったアニスは、クローヴに懇願したのだという。
『お願いです。グェンを助けてください。私、なんでもしますから』
『なんでも?…』
『はい』
そしてクローヴはグェンを助けることを約束し、アニスはこの屋敷に住みこみで勤めることになったのだった。
「それで、なにか妙なことはないのか?」
「妙なことなんて…別に…」
「村人で戻ってこない者がいる、と聞いたが」
「私…知りません…」
言葉をにごすと、アニスは首をふってうつむいた。
「そうか、ならもういい」
ゼルガディスがそう言うと、アニスはほっとしたように息をつき、ぺこんと頭を下げて部屋の扉から出ていった。閉めかけた扉の間からちょこんと顔だけのぞかせると、アニスはゼルガディスに笑いかけた。
「あのっ、手紙ありがとうございました」
ぱたん。
扉が閉まるとゼルガディスは内側から鍵をかけた。
―なにか妙だな、この屋敷は…―
奇妙な召し使い。
年齢不祥の少女。
行方不明の村人。
ソファに身をもたせて考えを巡らせる。クローヴが自分の領地で何をしようが興味はない。クローヴのキメラクリエイターとしての腕は確かなようだし、このまま留まって研究を続けたいとも思う。
だが、あの宝石の護符は……失うわけにはいかない。
ゼルガディスは行動を起こすことに決めた。
夜、館が寝静まるころをみはからって、ゼルガディスは窓から部屋を抜け出した。中庭を通り抜け、キャラウェイに出会った薬草園をさらに奥にすすむと、やがて月明かりに白く瀟洒な建物がうかびあがった。
建物の周りをぐるりと回ってみるが、いくつかある窓に灯りのついているものはなかった。
「浮遊」
ゼルガディスは呪文を唱えて空中に舞い上がると、見当をつけて窓の一つにしのびよった。
窓から中をうかがっても、人の気配はない。鍵のかかった窓を七つ道具であっさり開けると、ゼルガディスは部屋の中に忍びこんだ。見まわせば、そこはどうやら若い女性の部屋のようだ。
部屋中をうめつくすように飾られた花。
深い光沢のある薔薇色のシルクのベッド。
あちこちに投げ出された数々のドレス。
家具や調度は、みな贅沢で華やかなものだった。おそらくキャラウェイの寝室なのだろう。
部屋の中を調べ始めたゼルガディスは、部屋の片隅におちている物に目をとめ拾い上げた。それは手にのるくらいの大きさの細密画だった。ただ、描かれた絵はずたずたに切り裂かれ、かろうじて二人の男女が描かれているとだけ分かる。裏を返すと、細い字で何か書いてあるようだ。
ゼルガディスは月明かりにかざして、それを読んだ。
「クローヴ&キャラウェイ 永遠の愛をここに…」
―………―
ゼルガディスは無言でそれを元の場所に戻した。
再び部屋を見渡すと壁にかけられた絵が、かすかに曲っているのに気づく。近寄って絵を取り外すと、思った通りその下には取っ手があった。
―お約束だな…―
内心、苦笑しながらもゼルガディスは取っ手を引いた。
きしむような音を立てて、ベッドの横の壁にぽっかりと通路が開く。ゼルガディスはその中に足をふみいれた。
「明かり」
呪文を唱えて、光量をおさえた魔力の灯りをともす。
通路は初めのうちは下り坂だったが、やがて真っ直ぐになった。両側の岩の壁からは、じわじわと水がしみだしている。だがカビ臭さや、空気のよどみは感じられない。
―よく使われている、ということか…―
どれくらい歩いたのだろうか、やがてゼルガディスは一枚の頑丈そうな扉の前にたどりついた。明かりを消し、扉をわずかに開いて様子をうかがう。薄暗い扉の向うには人の気配はなく、不思議な静けさが満ちている。
扉を開けて一歩なかに入ったゼルガディスは、目の前にひろがる光景に立ちつくした。