哀しい獣の瞳

 

by wwr

 
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「これ…は…」
そこは天井の高い奥行のある、広い倉庫のような部屋だった。
その中に数えきれないほどのクリスタル容器が整然と並んでいる。部屋のすみに、ぽつりぽつりと灯るおぼろな魔法の明かりを反射して、にぶく光るクリスタル容器。その中に満たされた、オパール色の生命の水に包まれてまどろむものたち。
生まれる前のあかんぼう。
よちよち歩きのこども。
手足のすらりと伸びた少女。
みな同じ顔をしていた。
「キャラウェイ?…」
「…の、コピー達ですよ」
背後から響いたクローヴの声に、ゼルガディスは驚かなかった。油断なく振りむくと、そこにはリフラフを従えたクローヴが穏やかな笑みを浮べて佇んでいた。
「よくここがお分かりになりましたね。ようこそ、私のもう一つの実験室に」
客の無作法をとがめる風もなく、礼儀正しくクローヴはゼルガディスに一礼してみせる。
「なんだ、これは…」
「キャラウェイの生命の素材です」
「生命の素材?」
「ええ…」
まるで興味深い研究の過程を説明するように、クローヴは話しだした。
「キャラウェイは、とても体が弱いのです。ほんの少しの怪我や病気にも耐えられない…」
だからキャラウェイのなめらかな肌が傷ついたら皮膚をはりかえ、か弱い心臓が疲れたら交換し、そして。
「全身の血液を交換するのです、月に一度」
キャラウェイの体から古くなった血を抜き、コピーから新鮮な血をそそぎ込む。細胞の新陳代謝にあわせて、血液を入れ替えることにより、肉体はその老化をかぎりなく遅くすることができるのだ、とクローヴは淡々とした口調で説明した。
「私はキャラウェイに、永遠の命と美しさを与えているのです」

『愛しているよ、キャラウェイ。
華もドレスも宝石も
あふれるほどに、ふりそそごう』

「そのために、これだけのコピーを使って、か?」
「いけませんか?」
とげを含んだゼルガディスの問いに、クローヴは事もなげにこたえた。
「別にかまわんさ、本人がそれを本当にのぞんでいるなら、な」
「私はキャラウェイの望むもの全てを与えている」
クローヴはゼルガディスを睨みつけ、またはりついたような笑みを浮べた。
「あなたに良いものをお見せしましょう。こちらへどうぞ…」
くるりと踵を返して、クローヴは歩き出した。その後ろにゼルガディス、そしてリフラフが続く。
薄暗い地下の実験室に三人の足音が響く。ゼルガディスに背を向けたままクローヴは話しだした。
「なぜ父上が…レゾ氏が旅を続けていたと思いますか?」
「自分の目を治す練習台が欲しかったからだ」
ゼルガディスの答えに、クローヴの肩が笑いをこらえてふるえた。
「面白い考えですね。でも私は思うのです、父は一ヶ所にとどまればどうなるかを知っていたからではないのか、と」
「?」
「人の欲望には限りなどないのですから…」
一度家畜の病気を治せば、つぎにまた病気をした時も当然のように治してもらえると思っている。
新種の家畜や農作物をあたえても、ありがたがるのは最初だけ。次に来るのは「もっといいものを」の要求の声。
そしてうすっぺらな感謝の言葉の後には、必ずあの一言がつけたされるのだ。
『さすがレゾ様のご子息だ』と。
「放浪の旅を続けていれば、自分の行きたいところに行き、まずいことになれば、立ち去ればいいでしょう?」
限りない要求に応え続けることも、応えきれずに失望されることもない。
「レゾは自分のやりたいことをやっていただけだ。人に感謝されようなどと思ってはいなかったさ」
吐き捨てるようにゼルガディスは言った。
白魔法・黒魔法・精霊魔法。レゾがあらゆる魔法を習得したのは、すべて自分の目を開くため。各地を放浪して人々の目を治したのも、自分の目を治す練習台にすぎない。
その結果、人びとが自分のことを聖者とあがめようが、現代の五賢者の一人に数えようが、それはたぶん、どうでもいいことだったのだろう。
たとえ誰にどれだけ感謝されようとも、恨まれようとも、気になどしていなかったように思う。
彼の望みは、世界をその目で見ること。ただそれだけだったのだから。
「レゾは聖者などではない、ただの……身勝手な人間だ」
ゼルガディスの言葉に答えることなく、クローヴは黙ったまま歩きつづけた。
「これです……」
やがてクローヴは、一段高い場所におかれた二つの実験台の間で立ちどまった。
片方の台にはキャラウェイが、もう一方の台にはアニスが横たえられていた。二人の体は白くゆったりとした貫頭衣をまとい、全身に透明なチューブが取り付けられていた。アニスの体からはチューブをつたってうす赤い液体のようなものが流れだし、一旦二人の頭の位置にある装置の一方の口に吸い込まれてゆく。そして装置のもう一方の口からは真っ赤などろりとしたものがはきだされ、血管のようにからまりあったチューブを伝ってこんどはキャラウェイの体に流れ込んでいく。
どぉぉん、どぉぉん。
装置が心臓の鼓動にもにたリズムをきざむたびに、アニスの顔から血の気が無くなっていく。それに反比例するように、キャラウェイの頬に赤味がさしてゆく。眉間にしわを寄せながらその様子を観察していたゼルガディスの目が、キャラウェイの手首でとまった。薄青く血管が透き通ってみえる白い手首には、あの宝石の護符が輝いていた。
―っ!……―
叫びだしたい衝動をおさえて、ゼルガディスは平静をよそおう。
「この装置は…」
「生命力を抽出しているのです」
皮膚や臓器といった、いわば部品をとりかえても、キャラウェイのもつ生命力自体の衰えは補えない。だからそれを他の個体から抽出し、補給しているのだ、とクローヴは説明した。
「これが恋人の命の代償、というわけか」
「この娘は言ったのですよ。なんでもする、と」
憑かれたような目でキャラウェイだけを見つめるクローヴに、ゼルガディスは問いかけた。
「なぜ、そうまでする?こいつは妻なんだろう、あんたの」
「どうして…そう思うのですか」
「キャラウェイの部屋で、肖像画を見た」
「ああ、それで…」
クローヴはうなずくと、少し悲しげに言葉を続けた。
「親同士が決めた、家の為の結婚でしたがね」
―それでも、私は…―
「私は彼女を大切に扱いましたよ」
―なのに、彼女は…―
おぼろな魔法の光に照らされて、クローヴの顔が奇妙にゆがむ。
「キャラウェイが言ったのか?こんなふうに生きたい、と」
「あなたに何が分かるっ!」
クローヴはゼルガディスを火のつくような視線で睨みつけ、やがて嘲るような口調で言った。
「そういうあなたこそ、力を得た代りになにを支払ったというのです。レゾの狂戦士殿」
「知って…いたのか」
とうに捨てたはずの名を呼ばれ、ゼルガディスは拳をにぎりしめた。
「あなたは私の父が作り上げたキメラ。ならばこれからは息子の私の命令に従って…ぐぅっ…」
「…………」
ゼルガディスは無言で両腕を伸ばすと、クローヴの胸ぐらをつかみあげた。感情を抑えた低い声で、もうひとつの名をなのる。
「俺の名は、ゼルガディス=グレイワーズという」
クローヴは信じられないものを見る目で、ゼルガディスを見た。
「では…あなたは…父上の?」
「そんなことは関係ない。俺は…俺だ」
ゼルガディスの答えに、クローヴの顔から温厚な表情がはがれおちた。
「リフラフっ!こいつを殺せっ!!」
―許さん…父上の…赤法師レゾの血を引きながら自由に生きるなどと…―
『お父様のように、立派な人になるのよ…』
『レゾ様のご子息なら…』
幼い頃から言われつづけた言葉。
どんなに私が努力したか、どんなに多くのものをあきらめてきたか。
すべては「赤法師レゾ」の血筋にふさわしい者であるように、と。
それを軽々と捨てて「俺には関係ない」だと?
では、私は?これまで私のしてきたことは?
―…許さん…―
「殺してしまえっ!こんなキメラなどっ!!」
「ちっ」
ゼルガディスはクローヴから手を放し、剣をぬいて身構える。だが今にも飛び掛かってくるかと思ったリフラフは、その場から動かない。
―?―
いぶかるゼルガディスの目の前で、変化はおこった。
たくましいリフラフの体が、みるみる黒く艶のある獣毛におおわれてゆく。かっと開いた口には、鋭い牙。瞳の色は金に変わり、黒い虹彩が縦にはしる。
リフラフと呼ばれていたものは黒い獣人となり、背負った大ぶりの剣を軽々と抜いて床を蹴った。
「ぐるらぁぁぁっっ!」
「豹人間かっ!」
驚きの声をあげるゼルガディスに、クローヴの哄笑が浴びせられる。
「そいつは私が作ったキメラだ。倒せるものなら倒してみるがいい」
ぎんっ。
重みのある一撃が、野獣のスピードでくりだされる。
その下をかいくぐり、リフラフの右を駆け抜けざま、相手の右肩から左腹にかけてゼルガディスの剣が閃いた。
どがっ!
が、リフラフの体には、傷一つつかなかった。
「なんだとっ!?」
相手から距離を取りつつ、手に残る妙な手応えに戸惑うゼルガディス。
「ふん、そいつには黒豹のほかに、下級魔族も合成してある。下手な剣や魔法など効くものかっ!」
ざんっ!
リフラフの体重の乗った一撃が、ゼルガディスに向かって振りおろされる。
それを横に飛んでよけるゼルガディス。
じゃぎぎぎぎぃぃっ!
床の石畳と剣とがぶつかり火花を散らす。
「なぜ、あんな奴の命令をきくんだっ!」
「ぐぅぅぅぅぅぅぅ」
獣の喉では人の声は出せないのか、リフラフから返ってくるのはうなり声のみ。代りにクローヴの嘲るような声が答える。
「命令をきくのは当たり前だ、キメラにしてくれと頼んできたのは、そいつなんだからな」
「なんだとっ!」
ゼルガディスに振りむく暇も与えず、リフラフはしなやかな身のこなしで剣をふるう。
ざんっ、ざんっ!
「氷窟…」
リフラフのすばやい動きを止めようと、ゼルガディスは横にあったものに手をついて呪文を唱えかけた。が、手に触れた物に目をやれば、それはコピーの眠るクリスタル容器。このまま術をかければどうなるか。
一瞬の迷いが隙を生んだ。
音もなく駈け寄ったリフラフの剣が、ゼルガディスめがけて閃く。
とっさにクリスタル容器の間に体をすべりこませて、紙一重でよけるゼルガディス。剣の柄がクリスタル容器にあたって、耳障りな音を立てる。
リフラフの力なら容器ごとゼルガディスを叩き斬るのは簡単だろうに、なぜか追ってはこなかった。クリスタル容器を見るリフラフの戸惑うような表情。
―お前?…―
ゼルガディスには、リフラフがキメラになった理由が分かったような気がした。
―だが、俺も譲るわけにはいかん…―
クリスタル容器の列の裏を駆け抜け、リフラフの背後にまわりこむ。
「爆炎舞っ!」
ゼルガディスの呪文が、リフラフのまわりに無数の光球を生み出し、火花をまきちらす。
「ぐおっ!?」
視界をふさがれたリフラフに向かってゼルガディスは呪文を放った。
「烈閃槍」
精神にダメージを与える光の槍が、リフラフを直撃する。
「があぁぁ…」
魔族と合成されても、さすがにこれは効いたのかリフラフはその場に膝をついた。そこにクローヴの罵声がとぶ。
「なにをしているリフラフっ!キャラウェイの側にいさせてくれという、お前の願いを聞いてやった恩を忘れたのかっ!」
「ぐぅぅぅぅ」
うめくような声を漏らすと、リフラフは剣を杖のようにして立ち上がった。その身の支えとなったのは、主の命令ではなく、遠い日の約束。
『ずぅっとそばにいてね。リフラフ』
『はい、キャラウェイお嬢様。どんなことがあっても…』
旧家の令嬢と使用人という壁ができる前に、幼かった二人がかわした約束。
―キャラウェイ様…―
心も体も弱くて、温室の中でしか生きられない、花のような方。
自分には、ここから連れ出して差し上げることはできません。
だから…この温室を守ります。そのために、どれだけの命が費やされようと、この身が人でなくなろうと…自分は構いません。
体勢を立て直し剣を構えようとするリフラフ。
その間をあたえまいと正面からつっこむゼルガディス。
―こんなところで殺られてたまるか…―
まだ元の体に戻る手掛かりもつかめていない。調べていない遺跡や魔道書もある。なにより、あの宝石の護符をこのまま失うわけにはいかん…。
―アメリアっ!―
―キャラウェイ様…―
白い影と黒い影が、床を蹴って交差する。
きんっ!きんっ!
譲れないものをかけて、剣と剣とが火花をちらす部屋の中。命をすりかえる装置は無表情に動きつづける。
どぉぉん、どおおん。
装置の音と心臓の鼓動が重なり合い、キャラウェイはゆるやかにまどろみから目覚めた。
―ここは…どこ…―
―わたし…は…―
ゆっくりと身を起こし、ぼんやりとした視線をあたりになげる。
自分とチューブでつながれた、濃い茶色の髪の少女の青ざめた顔。
薄暗い部屋にずらりと並ぶクリスタル容器、そしてその中でたゆたうものたち。
―あ?…―
かすむ頭の奥から、よみがえる記憶。
『このコピー達を使えば、お前はずっと今の美しい姿のままでいられるんだよ』
そう言って優しく微笑んだ夫の足元には、切り刻まれた体がむぞうさに転がされていた。自分と同じ顔をした体が、いくつも、いくつも。
―あれは…わたしの体?じゃあ…これは?この体はなに?―
キャラウェイは腕をひろげ、傷ひとつない自分の体を見た。小さい頃に転んでついたはずの傷もなにも残っていない、なめらかな白い肌。。
混乱し、ふたたび狂気の中に逃げ込もうとしたキャラウェイの手が、手首につけた青い宝石の護符にふれた。無意識にそれをにぎりしめると、混乱はゆるやかにおさまり、そしてどうしようもない感情がこみあげてきた。
継ぎたされた体。
繋がれている命。
―いや…こんなのは…いや…―
自分で自分の体を抱きしめ、うずくまって震えるキャラウェイに心配そうな声がかけられた。
「もう起きたのかキャラウェイ。気分はどうだね?」
予定よりもいくぶん早い目覚めに少しおどろきながら、クローヴはキャラウェイに手をさしのべた。

『愛しているよ、キャラウェイ。
華もドレスも宝石も
あふれるほどに、ふりそそごう。
お前がそれを望むなら
どんなことでも叶えてやろう』

キャラウェイは、びくりとして顔をあげた。涙をためた瞳にうつるクローヴの手は、なぜか紅くそまって見えた。
「キャラウェイ?」
「さわらないでっ!」
せいいっぱい優しくさしのべた腕に応えるのは、嫌悪と拒絶。
「きらい、きらい。だいっきらい!!」
時を止められた少女は、ありったけの力で現実を拒絶する。そうしなければ自分が壊れてしまう、とでもいうように。
「わたしを無理に結婚させたお父様も、止めてくださらなかったお母様も、こんな機械でわたしを縛りつけるあなたも、みんな、みんな、だいっきらいっ!!」
少女は台からすべり降り、横にあった燭台をにぎりしめると、複雑にからまりあった装置にむかって振りあげた。
「やめるんだっ!そんなことをしたらっ!」
「いらないっ!こんな命なんてっ!」
細い腕のどこにそんな力があるのだろう。キャラウェイは次々に装置を打ち砕いていった。床にはクリスタルの破片が飛び散り、薬品や生命の水が流れだす。
不老不死を与える装置。
だれも幸せにしなかった装置。
キャラウェイの叫びと装置の砕ける音が、ゼルガディスにいちばん思い出したくない奴の言葉を思い出させる。

『分にすぎた技術を持つのは不幸ですよ』

―誰が決めた、そんな分…―
胸のうちで言い返し、ゼルガディスは緑がかった青い瞳に決意をひめて呪文を唱える。
「魔皇霊斬っ!」
ヴンッ!
一閃した剣が赤くかがやき、魔力がこもる。
「うぉぉぉっ!」
ゼルガディスに対峙するのは、リフラフの金の瞳。。
人であることを自らやめた、強くて、少し哀しい獣の瞳。
振りおろされるリフラフの剣を下から撥ねあげ、後ろに飛びのきながらゼルガディスは横一文字に剣をふるう。
ざんっ。
赤くかがやくゼルガディスの剣が、リフラフの腹を大きく薙いだ。
黒い獣毛にみるみる赤黒い染みがひろがり、したたりおちてリフラフの足元に血溜りをつくる。
「ぐ…がぁぁ…」
リフラフの動きがとまった。だが次の瞬間、傷口を押さえもせずに、剣をゼルガディスに向かって上段に振りかぶる。
そこに再び光の柱が放たれた。
「烈閃砲っ」
「ごがっ…」
リフラフは短くうめいてその場に倒れた。