哀しい獣の瞳

 

by wwr

 
- 5 -
 
 
動かなくなったリフラフに一瞬だけ目をやり、ゼルガディスは剣を納めると実験台にかけよった。青白い顔をしたアニスを抱き起こして口もとに耳をよせる。
―まだ息はあるな―
ゼルガディスはアニスを抱きあげると、クローヴ達の動きに注意しながら隙をうかがう。
「キャラウェイっ!よすんだっ!!」
クローヴはキャラウェイから燭台を取り上げると、細い腕をつかんで取り押さえた。
「リフラフっ!どこにいるのっ、 リフラフーっ!!」
「呼ぶんじゃないっ、あんなキメラ」
キャラウェイの肩をつかんで揺さぶり、嫉妬まじりの声で怒鳴りつけるクローヴ。
「いやーーっ!はなしてっ」
そのとき、力強い腕が二人を引きはがした。
「リフラフッ」
「ぐ…うぅぅぅ」
床に赤い血の跡を点々とつけながら、リフラフは二人の間に割り込むとキャラウェイをかばうように抱きよせた。
「ぐ・る・る・る・」
「どけっ、リフラフっ」
クローヴは手近にあったメスをつかんで振りあげた。リフラフはその手首をつかむと、ぎりりっとねじりあげる。
「つっ…リフラフ……この恩知らずが…」
後ろにねじりあげられた手からメスが落ち、クローヴはその場に膝をつく。
「きらいよ…わたしの言うことにさからわない…お前も…きらい…」
リフラフの腕の中で、キャラウェイは泣きじゃくりながらうったえる。リフラフはその耳元でなだめるように、静かに喉の奥をならした。
キャラウェイは、しゃくりあげながらうなづくと、涙にぬれた顔をリフラフの胸にうずめた。リフラフの手が、少女の乱れた銀の髪をそっとなでる。
―そんなに、お辛かったのですか…キャラウェイ様―
申しわけありません。お守りすると約束しましたのに。キャラウェイ様は小さかったから、憶えてらっしゃらないかもしれませんけれど。自分は約束は守ります。もう辛い思いはさせませんから…。
黒い獣人は、その胸で泣くかぼそい少女を優しく抱きしめた。
クローヴは、そんな二人の姿をギラつく目で睨みつけた。くいしばった口もとから、すがるような声がもれる。
「…ちがう…キャラウェイ…お前は私の…」
壁に寄りかかるようにして立ち上がり、クローヴは呪文を唱えはじめる。
「全ての力の源よ。輝き燃える赤き炎よ…」
―まずいな―
ゼルガディスはアニスを片腕にかかえたまま、タイミングを合せるようにして呪文を唱える。
「火炎球!」
「氷結弾」
キィィィィン。
シュパァァン。
クローヴが二人に放った赤い光球に、ゼルガディスが出現させた青い光球がぶつかった。二つの呪文は相殺され、たちまち実験室は濃い水蒸気に包まれていく。ゼルガディスはアニスを抱えなおすと、必死に目をこらしてリフラフ達の姿を探した。
「ゼル…ガ…ディス」
たどたどしいリフラフの声とともに、たちこめる水蒸気の向うからきらりと光るものが飛んできた。ゼルガディスが片手でそれを受けとめると、それは青く輝く宝石の護符。
水蒸気の中でちらりと見えたリフラフの顔は、深手を負っているはずなのに微笑んでいるように見えた。どこか安らいだ表情のキャラウェイをその腕に抱いて、リフラフは離れへと続く通路に向かって歩き出す。
後を追って実験室を出ようとしたゼルガディスの耳に、クローヴの唱える呪文が飛びこんできた。
―この呪文は!?―
「逃げろっ、崩れるぞっ!」
ゼルガディスは先を歩くはずの2人に叫び、自分も幾重にも風の結界をまとう。その時、床にすわりこんだクローヴから、呪文が放たれた。
「礫波動破」
力ある言葉に応え、クローヴが床につけた両腕から生まれた波動が、大地を揺り動かした。本来なら大地を通して、一定の地点に地震に似た振動をおこす魔術なのだが、クローヴは自分を中心に、ただ波動を放ちつづける。
館がきしみ、壁がゆがむ。
天井は音を立ててくずれ落ち、長い年月をかけて作り上げてきた数々の設備が、瓦礫の下敷きとなって押しつぶされてゆく。ずらりと並んだクリスタルの容器はつぎつぎと砕け、生命の水の中でまどろむコピー達は、一度も目覚めることなく冷たくなっていった。
―なにが…いけなかったのだろう…―
誰もが望む永遠の美しさを与えたのに、ひとかけらの微笑みも私の手には入らなかった。

『愛しているよ、キャラウェイ。
華もドレスも宝石も
あふれるほどに、ふりそそごう。
お前がそれを望むなら
どんなことでも叶えてやろう。
だから……どうか……
私を愛しておくれ』

―心を求めては…いけませんか?…―
愛され方を知らず愛し方を間違えた魔道士は、崩れ落ちる館の中で、そんなことを思ったのかもしれない。

土煙のあげてくずれゆく館から、白い人影が宙に舞い上がる。気を失ったままのアニスを抱えて飛ぶゼルガディスだった。
崩壊する館を無言で見おろす。
―あいつらは…―
自分と同じくキメラの体を持つリフラフは、あの傷でも助かるかもしれない。だが、歪んだ愛で少女の時を止めていた者はもういない。押し止められていた時間は奔流となって彼女を飲み込み、そして…。
みずから望んでキメラとなった男は、その長すぎる生を悔いることもなく墓を守って過ごすというのだろうか。
「そういう生き方も、あるんだろうな」
ゼルガディスは一人つぶやいた。
「だが、俺にはできん……」
欲しいものは、いつも手の届かないところにある。力も、人の体に戻る術も、共に旅した大国の姫も。
身の程知らずだといわれても、あきらめることなどできはしない。悪あがきと言いたければ言えばいい。
ふと視界の隅に動くものを見つけ、ゼルガディスは目をこらした。それはこちらを見上げて必死に手をふるグェンだった。なにか叫んでいるようだが、風の結界にはばまれて聞こえない。
近くの地面に降り立つと、ゼルガディスは結界をといた。
「アニスっ、大丈夫かっ!」
駈け寄ってアニスの体を抱きしめるグェンに、ゼルガディスはそっけなく言う。
「気を失っているだけだ。しばらく静養すれば元に戻る」
「あんたが助けてくれたのか?」
「そういうことになるようだな」
「あ、ありがとう。あんた、いい人なんだな。見かけによらず」
「大きなお世話だ。それよりなぜ、お前がここにいる」
「おれ手紙に書いたんだよ。あの木の下で待ってるって」
そう言ってグェンは一本の大木をゆびさした。それはグェンが村にいた頃から、アニスとの待ちあわせに使っていた場所なのだという。ゼルガディスに手紙を託してから、グェンはあの木の下で待ち続け、そして轟音とともに館が崩れる光景を目にした、ということだった。
「一体なにがあったんだい?」
グェンになんと答えようか、ゼルガディスが迷っていると、大勢の人間の近づいてくる気配がした。異変に気づいた村人達がやってきたのだろう。やっかいなことになる前に、ゼルガディスはその場を離れることにした。
「魔法実験の事故だ」
簡単に言って、気配と逆の方向に歩きだす。
「それで、クローヴ様は?」
「……俺は……知らん」
嘘ではない。最期を見届けたわけではないのだから。
まだなにか聞きたそうなグェンをその場に残し、ゼルガディスは足早にその場を立ち去った。
「おーーい…ほんとうに…ありが…と…う…」
グェンの声は風にのって、かすかにゼルガディスの耳にも届いただろう。

夜明け前、星が最も輝くころ、ゼルガディスはこの辺りの地理を頭にうかべながら、うっそうと茂る森の中を歩いていた。
―確か東の方角に、大きな都市があったな。なにか情報がつかめるかもしれん…―
ゼルガディスは浮遊の呪文で舞い上がると、一本の高い木の上に降りたった。方角を求めて星空を見上げる。
『道に迷った時は、あの星を探しなさい。ゼルガディス』
かつて盲目の法師は、その見えない瞳を北の空に向け、明るく輝く星を指差した。
『あの星は「水竜王の玉座」一年中その位置を変えることなく北をさししめす星です』
―星の見方を教えてくれたのは……あんただったな。レゾ…―
まだ全てを許すことはできない。だけど以前のように憎む気持ちもおきなかった。
それはたぶん……。

『ゼルっ、たのんだわよっ』
誰かに信頼されること。

『こっちは任せとけっ、ゼルガディス』
自分の背中を預けて戦えること。

『だめですっ!ちゃんと治癒くらい覚えてください…ゼルガディスさん』
誰かを大切に想うこと。
想われること

数えきれないくらいの大切なことをうけとって、今の自分があるからなんだろう。
「……アメリア……」
ゼルガディスは宝石の護符をとりだすと、両の手のひらにのせ月明かりにかざした。聖なる五芒星をやどした青い宝石の護符は、月光をあびてその透き通るような輝きを増してゆく。やがて、したたるほどに月光をふくんだ宝石の護符は、かすかに震え、そして光がほとばしった。
宝石の護符からあふれ出た光はゆるやかな弧をえがき、夜空に銀の橋をかける。ゼルガディスが立つこの地から、いまは遥かなセイルーンへと。
待っていてくれ、とは言えなかった。
縛りつけることはしたくなかった。
それでもアメリアは、旅立つゼルガディスにこの宝石の護符を渡して見送った。ただ一言。
「いってらっしゃい。ゼルガディスさん」
いつもの笑顔でそう言って。でも黒い大きな瞳は、今にも涙がこぼれおちそうで。思わず抱きしめたアメリアの小さくてやわらかな体。
あの笑顔とぬくもりが胸によみがえるたびに、ゼルガディスは思う。
まだ前に進める。世界中を旅して、たとえどんなに失望を重ねても、俺は前に進める、と。
いつしか銀に輝く橋は夜風にさらわれ、星屑のようにきらめきながら、その姿を散らしていった。星たちが瞬く夜空に白くマントをひるがえし、ゼルガディスはその身を宙におどらせる。
「浮遊」
ふわりと地面に降り立つと、ゼルガディスは確かな足取りで東に向かって歩きはじめた。
その胸に消えることない灯りを抱いて。
また、旅がはじまる。